アルバセテ県北西に流れるフカル川(Júcar)の渓谷沿いに三日月のような形で、アルカラ・デル・フカルの村は佇んでいる。山腹を削るように民家が建てられ、地形に沿って細く急な道が張り巡らされている。
11世紀にはキリスト教勢力に対抗するために築かれた、ガラデン王(Garaden)が治めるアラブ系民族の要塞であったことが知られている。事実、村名につけられたアルカラ(Alcalá)は、アラブ語で「要塞」を意味する「al-qal’at」に由来している。
1211年にカトリック諸国連合軍を率いるカスティーリャ王アルフォンソ8世(Alfonso VIII)がアルカラ・デル・フカルの要塞へと侵攻し、ナバス・デ・トロサ(Las Navas de Tolosa)の戦いでイスラム諸国連合軍の敗北が決定的となると、現在のアルバセテ県全域がレコンキスタによりキリスト教徒の土地となった。
崖の頂上には12世紀から13世紀にかけて建てられたアルカラ・デル・フカルの城がそびえ立っている。見下ろすとフカル川渓谷の大自然に濃淡豊かなオレンジ色の瓦屋根がモザイク模様となって浮かび上がる絶景が広がっている。また、この城はスレマ姫(princesa Zulema)に関する伝説が残されていることでも知られ、ガラデン王によって誘拐されたスレマ姫は妻となって生きる代わりに、塔の上から身を投じたと言われている。
旧市街への玄関口に架けられたプエンテ・ロマーノ(Puente Romano:ロマネスクの橋)は、カスティーリャからレヴァンテへと続く王の道(Camino Real)の途中にあり、14世紀から15世紀には税関が置かれ、積み荷を乗せ替えるための陸上港としても活用された。
その他、流体のような特徴的な形をした闘牛場や、15世紀から18世紀にかけて建てられたサン・アンドレス教会(Iglesia de San Andrés)、この村に多く残された洞穴の一つガラデン王の洞窟(Cueva de Rey Garadén)など見どころも多い。
また、フカル川に沿って村の中心から3kmほど離れたところには、ネオ・クラシカル様式が美しいサン・ロレンツォ修道院(Ermita de San Lorenzo)が建っている。はっきりとした建築年代はわかっていないが、1579年にはすでにこの場所にあったとされる。時間に余裕があれば、足を延ばしてみても良いだろう。
パリのエッフェル塔とイスタンブールのスルタンアフメト・モスクに並び芸術的な夜景として表彰されたこともあるアルカラ・デル・フカルの街は、夜になると周囲の岩山をキャンドル・ライトのように優しい光で照らし出す。ぜひとも、この村に滞在してロマンチックな夜を過ごしたい。