ペム/Pesmes
【オニョン川の水面に移る中世の村】
フランシュ・コンテ地方のオニョン川沿いに佇むこの村は、
城壁の下に多くの民家が寄り添うように建ち並び、
穏やかな川面にその集落と城の姿を見ることが出来る。
近郊の主要都市グレーとドールを結ぶ道沿いにあり、
その戦略的立地から様々な国からの支配を受けながら時を刻んできた。
川に架けられた橋を渡った瞬間から、
中世に迷い込んだかのような豊かな歴史を感じる村である。
フランシュ・コンテ地方のオニョン川沿いに佇むこの村は、
城壁の下に多くの民家が寄り添うように建ち並び、
穏やかな川面にその集落と城の姿を見ることが出来る。
近郊の主要都市グレーとドールを結ぶ道沿いにあり、
その戦略的立地から様々な国からの支配を受けながら時を刻んできた。
川に架けられた橋を渡った瞬間から、
中世に迷い込んだかのような豊かな歴史を感じる村である。
目次【本ページの内容】
フランシュ・コンテ地方のオニョン川沿いに佇むこの村は、城壁の下に多くの民家が寄り添うように建ち並び、穏やかな川面にその集落と城の姿を見ることが出来る。
近郊の主要都市グレーとドールを結ぶ道沿いにあり、その戦略的立地から様々な国からの支配を受けながら時を刻んできた。
川に架けられた橋を渡った瞬間から、中世に迷い込んだかのような豊かな歴史を感じる村である。
目次【本ページの内容】
中世には商人と資産家が集まる商業都市として大きな発展を遂げたこの村は、樹齢100年を超えるプラタナスの並木道が続いている。トラジュ(Traje)と呼ばれる小路へ逸れると、豪華な造りの貴族やワイン醸造家の館が軒を連ねている。とりわけフランス革命前までペム領主が所有していた館オテル・シャトールイヨー(Hôtel Châteaurouillaud)には、14世紀の塔の一部が残されている。
村は1660年にペム公爵シャルル・ド・ラ・ボームによって鍛冶場が造られて以来、治金業で栄光の時代を迎えた。1993年に惜しまれながらもその長い歴史に終止符を打ったが、村の郊外にある当時の工房は、現在博物館として活用され当時の機械や道具などを展示している。
中世には商人と資産家が集まる商業都市として大きな発展を遂げたこの村は、樹齢100年を超えるプラタナスの並木道が続いている。
トラジュ(Traje)と呼ばれる小路へ逸れると、豪華な造りの貴族やワイン醸造家の館が軒を連ねている。
とりわけフランス革命前までペム領主が所有していた館オテル・シャトールイヨー(Hôtel Châteaurouillaud)には、14世紀の塔の一部が残されている。
村は1660年にペム公爵シャルル・ド・ラ・ボームによって鍛冶場が造られて以来、治金業で栄光の時代を迎えた。
1993年に惜しまれながらもその長い歴史に終止符を打ったが、村の郊外にある当時の工房は、現在博物館として活用され当時の機械や道具などを展示している。
10世紀に自然の要塞として最初の主塔が建てられて以来、城を中心に集落が形成された。オニョン川を見下ろす高さ40mの崖の上に佇むペム城は12世紀に建てられたもので、フランス国王アンリ4世が滞在したこともある由緒正しき城である。
18世紀には左右対称を成す建物が建設されるなど、城の改修が行われた。フランス革命期には、礼拝堂や劇場を備えた集合住宅として用いられ、多くの住民が生活を共にした。
10世紀に自然の要塞として最初の主塔が建てられて以来、城を中心に集落が形成された。
オニョン川を見下ろす高さ40mの崖の上に佇むペム城は12世紀に建てられたもので、フランス国王アンリ4世が滞在したこともある由緒正しき城である。
18世紀には左右対称を成す建物が建設されるなど、城の改修が行われた。フランス革命期には、礼拝堂や劇場を備えた集合住宅として用いられ、多くの住民が生活を共にした。
村の中央に構えるサン・ティレール教会は、1178年に建設された。ロマネスク・ブルギニョン様式の外観が特徴的で、鮮やかなモザイク模様の屋根が目印である。中には16世紀の彫像や、フランドル学派の絵画などがあるので見応えがある。
かつてこの村に出入りするために6つの門が用いられていたが、ルイ14世の命により取り壊され、現在はロワジュロ門とサン・ティレール門の2つが教会すぐそばに残されている。
村の中央に構えるサン・ティレール教会は、1178年に建設された。ロマネスク・ブルギニョン様式の外観が特徴的で、鮮やかなモザイク模様の屋根が目印である。
中には16世紀の彫像や、フランドル学派の絵画などがあるので見応えがある。
かつてこの村に出入りするために6つの門が用いられていたが、ルイ14世の命により取り壊され、現在はロワジュロ門とサン・ティレール門の2つが教会すぐそばに残されている。
村は独自の食文化が息づいていることでも知れらている。プレ・ドルロジェ(※Poulet d’horloger:時計屋風若鳥の煮込みの意)は、ジャガイモと地元で生産されるクリーミーなカンコワイヨット・チーズを小さな鍋に入れて煮込んだ料理である。
若鳥という名称が入っているにも関わらず最も伝統的なレシピでは肉を使わないのは、当時の時計屋は非常に貧乏であったからだと言われている。現在は地元名産のモルトー(Morteau)というソーセージと一緒に調理される。
また、仔牛・鶏肝・白ワインでマリネした豚肉の入ったタルト・ペモワーズ(※Tarte pesmoise:ペム風タルトの意)も併せて味わいたい。
村は独自の食文化が息づいていることでも知れらている。プレ・ドルロジェ(※Poulet d’horloger:時計屋風若鳥の煮込みの意)は、ジャガイモと地元で生産されるクリーミーなカンコワイヨット・チーズを小さな鍋に入れて煮込んだ料理である。
若鳥という名称が入っているにも関わらず最も伝統的なレシピでは肉を使わないのは、当時の時計屋は非常に貧乏であったからだと言われている。
現在は地元名産のモルトー(Morteau)というソーセージと一緒に調理される。
また、仔牛・鶏肝・白ワインでマリネした豚肉の入ったタルト・ペモワーズ(※Tarte pesmoise:ペム風タルトの意)も併せて味わいたい。
オート・ソーヌ県ペム/Pesmes (HAUTE-SAÔNE)
※※Googleマップでは「ペスム」という日本語読みになっていますが、2度出てくる「s」はどちらも発音しないため、「ペム」という読みを当てています。
面積:0,98km2
人口:351人(2015年現在)
「ブルゴーニュ・フランシュ・コンテの風格ある街(Cités de Caractère de Bourgogne-Franche-Comté)」加盟
2020年3月21日:ページ更新
2020年6月9日:ページ更新
現在この村へ向かう電車やバスはないため、近郊の街からタクシー等の利用が必要です。
2019年にこの村を訪れた際はレンタカーを利用しました。中央広場に大きな駐車場が整備されており、セルフ式のガソリンスタンドもあるので、車での移動も安心です。
パリ・リヨン駅(Paris Gare de Lyon)からTGVもしくはLyriaに乗って、ディジョン・ヴィル駅(Dijon-Ville)駅下車。(約1時間40分)
ディジョン駅前からタクシーに乗って、ペム旧市街へ(約60分)
パリ(Paris)から290km(約3時間40分)
リヨン(Lyon)から240km(約2時間20分)
ボーヌ(Beaune)から80km(約1時間)
ディジョン(Dijon)から50km(約50分)
ブザンソン(Besançon)から50km(約50分)
リヨン・サン・テグジュベリ空港(Lyon-Saint Exupery)から230km(約2時間10分)
ジュネーヴ国際空港(Aéroport international de Genève)から260km(約2時間30分)
フランスの人気テレビ番組「フランス人が選ぶお気に入りの村」で、2013年にペムがノミネートされた際の動画がYoutubeの「Le Pays préféré des Français」公式チャンネルにて紹介されています。この村の魅力が詰まった動画で、見たら行ってみたくなること間違いなしです。映像だけでも十分に楽しめますが、順次日本語訳を紹介していく予定なので楽しみにお待ちいただければ幸いです。
村内がオレンジに輝く夕暮れ時や、夜のライトアップ、朝霧に包まれた街並みなど、時間によって様々な表情を見せるのが美しい村の魅力。
フランスの最も美しい村の予約はbooking.comが便利で、毎回お世話になっています。2019年に実際に滞在したアパートメントを紹介いたしますので参考にして頂ければ幸いです。
2019年に実際に宿泊したのはBooking.com の総合スコア8.7の、このアパートメントです。村の入口にある橋を渡ってすぐの位置にあり、村の散策に便利。清潔感もあり必要なものはすべて揃っていますが、家の中でWifiが使えないため注意が必要です。対岸のレストランを経営している方がオーナーですが、休業日には鍵の受け渡しに携帯電話でのやり取りが必要となります。料金は2名1泊で60€(朝食別)と非常に良心的です。
【一緒に訪れたい美しい村】
ペスムから車で1時間10分(80km)
ペスムから車で1時間20分(90km)
ペスムから車で1時間20分(100km)
ペスムから車で2時間20分(200km)