山形県の西南部、厳しい冬と向き合いながら生活を営んできたのが飯豊町である。この村は、広大な平野に広がる水田地帯と、里山文化息づく山麓集落という2つの顔を持っている。
飯豊連峰を源流とする清らかな水が肥沃な扇状地を形成することで、飯豊町では稲作栽培が盛んに行われた。水田に養分を運ぶ水の流れが得られる場所に、それぞれの農家が屋敷を構えたことにより散居集落という独特の景観が形成された。飯豊町では冬になると北西からの冷たい季節風が流れ込むため、防風や防雪のために家の西側に屋敷林を配した。
広大な水田地帯を超え、山道を上った先にたどり着くのが中津川集落である。県下でも有数の豪雪地帯として知られ、冬には道の両脇が人の背丈に2倍ほどの高さに積み上がる。そんな厳しい冬を乗り越えなくてはいけないからこそ、豊かな生活の知恵が受け継がれてきた。中津川地区に残る中門造りと言われる民家は、馬と人間が共存できる造りとなっている。伝統工芸品の菅笠や山菜などをつかった保存食は、現代の時の流れの速さの中で忘れかけていた優しい温もりを感じる。
英国の紀行作家イザベラ・バードの著書「日本奥地紀行」(Unbeaten Tracks in Japan, 1878)の中で、この置賜地方の風景を「東洋のアルカディア(桃源郷)」と称したように、冬が終わりを告げると魔法をかけたかのように村全体が色づき始める。
田園に日が差し込みだす朝に田んぼのあぜ道を歩くと、眩いほどに輝くこの村の美しさにであう。