サント・スザンヌ村長インタビュー動画:日本語訳全文紹介

こちらのページでは、2021年5月29日(土)に「フランスの最も美しい村」協会に加盟するサント・スザンヌ村長・元村長をお招きし、NPO法人「日本で最も美しい村」連合主催のオンライン学習会内でご紹介したフルバージョン動画の日本語訳を掲載しています。文章自体は動画内の日本語訳と全く同じものですので、もし内容に興味を持ってくださった方はサント・スザンヌ村内の映像と共に紹介していますので、Youtube で公開中の動画も併せて視聴して頂けますと幸いです。

 

▼インタビュー動画再生リストはこちらから

▼サント・スザンヌ村の詳しい紹介はこちらから

第1章:オープニング

モルトヴェイユ元村長自己紹介

はじめまして、モルトヴェイユです。サント・スザンヌ村の元村長で、2008~2020年まで実に12年間村長を務めました。

 

ただし、村長を務める以前にも村民組織の活動に積極的に関わってきました。

 

父と祖父もかつてはこの村の村長で、1560年から私の家族はこの村で暮らしてきました。

 

かつてはパリやアンジェなどの都市で仕事をしてきましたが、この村は私の故郷です。

ガルヴァンヌ村長自己紹介

はじめまして。私の名前はミシェル・ガルヴァンヌです。サント・スザンヌ村の村長で、この地域を活性化するために日々努めています。

 

元々は文化芸術の領域で活動していて、ダンサーをしていました。この地域の芸術学校で、ダンスの先生としても教鞭をとっていました。

 

その後文化財の保護や、文化事業・観光を担当する行政の仕事に転身しました。特にアヴィニョンという街で、文化事業の責任者を7年間務めました。

 

次いでアルザス地方のバ・ラン県庁へ転職し、地域の文化事業計画を推進しました。特に行政の立場からアルザス地方の村々が、「仏の最も美しい村」協会に加盟する手助けをしました。

 

ダンサーとしてのキャリアを止めてからの続きですが、このサント・スザンヌ村で農業をするために移住しました。時代は有機農業や地産地消、農家による直販ですから。このように、この村では農家の一人として生活しています。

 

なぜこの村を移住地として選んだかですが、私の妻がこの村のあるマイエンヌ県出身で、家族代々パン屋を営んでいたからです。

サント・スザンヌ村の政策はどのように決められているんですか?

私たちの場合は最近2つの自治体が合併して、サント・スザンヌ・エ・シャム村になりました。

 

村議会は現在19人で構成されていて、次の選挙が行われる2026年に通常の15名に戻ります。

 

村長が1人と5人の助役が協力して行政計画を推進します。助役のメンバーの中には、旧サント・スザンヌ村および旧シャム村の代表がいます。

 

もし村長が病気などになってしまった場合は、副村長が代わりに職務を担う事になっています。

 

その他に村内のお祭りなどのイベントを取り仕切る助役と、社会福祉や児童教育を担当する助役が1人ずついます。

 

この6人が村議会における内閣のような存在になっていて、村長は約10万円/月、助役は約5万円/月程の手当を受けることが認められています。(※その他の議員は、基本無報酬)

サント・スザンヌ村議会と村役場の仕事について詳しく教えてください。

村議会議員の一人一人は、担当する分野の役割が割り当てられています。

 

村内の植栽を担当する議員や公園と庭を担当する議員、文化財の管理を担当する議員などがいて、その他文化や社会福祉、教育、スポーツなどを担当する議員がいます。

 

これらの議員が村議会を構成していて、月に1度ほど集まって村の方針について話し合います。

 

村長と副村長は毎週、村長と助役は半月から1カ月に一度程、加えて6つのテーマに沿って組織された委員会ごとに会議があります。

 

都市計画・環境委員会、財務委員会、広報・祭事委員会、社会福祉・教育・スポーツ委員会、公共事業委員会などがあり、村長もしくは助役が委員会の議長を務めます。

 

村役場では職員と共に公共サービスを提供しています。

 

例えば小学校の運営ですが、フランスでは小学校は市町村、中学校は県、高校は地域圏が設置・運営の責任と権限を有しています。

 

小学校では5人の職員が働いていて、授業や設備管理を担う職員の他、食事を作ってくださる方もいます。

 

というのも、この村では小学校で給食を提供することを決めており、出来る限り地元食材を使うという方針で運営しています。

 

村内の施設・道路の保守・点検のためにはとても能力のある3人の職員に恵まれました。

 

例えば村内の石畳は役場の職員によって敷かれていて、余りに複雑なものは無理ですが簡単な文化財の手入れも彼らが担当しています。

 

村役場の日常業務は3人の職員が担当しており、2人は事務・会計の担当者、1人は公共サービス担当者です。幸運なことに、どなたも優秀な方ばかりです。

 

そして最後に文化財を専門とする職員がいて、村の資料館の管理などを行っています。

 

これが私たちの村議会と村役場の、大まかな仕事の内容です。

モルトヴェイユ元村長、ガルヴァンヌ村長、本日はよろしくお願いします。

第2章:加盟へ向けて

「フランスの最も美しい村」協会に加盟するまでの経緯を教えてください。

住民が他の村には無いこの村の豊かさに気づき、もっと多くの人々を惹きつけることが出来るのでは無いかと思ったのです。

 

1962年には「サント・スザンヌ友の会」が結成され、すでに数多くのプロジェクトを推進していました。私自身も創設からこの地域組織で活動していました。

 

村内にある庭園の植栽や花火大会、魚釣り大会など魅力あふれる企画を実施し、すべては村の活性化のために活動を続けてきました。

 

特にバカンス村など外から来る人々にとっても、これらの取り組みは非常に魅力的に映ったようです。

 

これらが最初に行ったことで、次いで1966、67年にかけて、「音と光」をテーマとしたイベントを城の中庭で開催しました。

 

当時サント・スザンヌ城は私有物で、一般には公開されていませんでした。

 

戦争が終わってから誰も住んでいなかったので、保存状態はとても悪く崩壊の危機にありました。玄関に入ると3階建ての屋根が見えたのですよ。

 

このイベントはもちろん城の外で開催したのですが、住民の多くが参加・協力してくださいました。

 

この時代は商業を営む若い人々が多く、電気技師や薬剤師など30~35歳の住民が集まりました。

 

このイベントを通じて、参加者はこの村をもっと魅力的に紹介できるという事に気づいたのです。

 

最初はもちろん中心部の歴史保存地区の景観形成から手を付け始めました。

 

例えば広場に石畳を敷き詰めたりですが、これは私が村長になったから行ったのではなく、もっと昔から行われていたんですよ。

 

大通りの石畳化はリゴ元村長の時代に行われましたし、村内の景観の価値を高めるという取り組みはもっと昔からの関心事でした。

 

村内から電線・電話線を無くす取り組みは、過去の政策を引き継ぐ形で継続し、県からの補助金のおかげもあり、特に電線地中化は私が村長在職中に大きく進展しました。

 

電話線の地中化は結構お金が掛かりましたよ。電話会社(オランジュ)は美しさという側面には、一切関心を示さないんです。

 

私も電話会社とは戦いましたよ!電力会社(EDF)と一緒に取り除いたアルミ製の電柱を見せつけたりしましたが、彼らにとって電話さえ出来れば電話線は全く問題ないと感じていたようでした。

 

このように、既存の管理方法を変えることは、簡単ではありませんでした。彼らが悪い訳ではありません、でも私たちに協力してくれるわけでもないのです。

 

ご質問を頂いたので資金調達の話もしましょう。実は私たちは「フランスの風格ある小さな街」という組織にも加盟していて、その枠組みの中で支援を受けました。

 

私たちの属するペイ・ド・ラ・ロワール県には、実に51の自治体が加盟しています。ちなみに、その中で「美しい村」協会にも加盟している村は3つしかありません。

 

「フランスの風格ある小さな街」に加盟する自治体は、電線の地中化をはじめとする景観美化のために、県から30%の補助金を得ることが出来ました。

 

それらは私たちにとってとても魅力的だったので、以前なら出来なかった多くの公共事業を実施しました。

 

5年前に隣接するシャム村と合併しました。シャム村の電柱地中化は補助金なしで行うのですが、サント・スザンヌ村は全てでは無いにしろ、主要な場所の地中化工事を終えることが出来ました。

 

これがサント・スザンヌ村が歩んできた道です。私が行った仕事の多くは過去の取り組みを継続し、多少なりとも前進させただけなのです。

「フランスの最も美しい村」協会になぜ加盟しようと思ったのでしょうか?

私たちには「フランスの風格ある小さな街」という観光ラベルがすでにありました。では、なぜ「フランスの最も美しい村」協会に加盟する必要があったのか?

 

私はフランスに暮らす1市民として、「フランスの最も美しい村」を訪れていました。

 

村長になる前年の2007年には、「フランスの最も美しい村友の会」会員として様々な情報やパンフレット・地図などを見て、個人的にこの活動を応援していました。

 

すでに「美しい村」協会に興味を持っていたのですが、加盟が認められる日が来るなんて思いもしませんでした。当時はその求める水準に、全く達していないと感じていたからです。

 

(「フランスの最も美しい村」運動発祥の)コロンジュ・ラ・ルージュ村やリヨン近郊のペルージュ村、(「世界遺産」にも登録されている)コンク村などを見て、村内でやり残していることが沢山あると思っていました。

 

そんなある日、友人宅での食事会に招かれた際に、ここから少し離れた場所にあり、「フランスの最も美しい村」協会に加盟するサン・セヌリ・ル・ジェレ村の村長も来ていたのです。

 

サン・セヌリ・ル・ジェレ村長が言うには、『私にはなぜサント・スザンヌ村が、「フランスの最も美しい村」に立候補しないのか理解できません。』と。

 

『美しい村協会が求める美しさの水準に達するまで、様々な取り組みをして準備しているんですよ。』と私は答えました。

 

すると彼は、こう言ってくれたのです。『私は加盟村の村長ですが、サント・スザンヌ村は十分に美しいと思いますよ。ぜひ前向きに考えてみてください!』と。

 

ではなぜ「フランスの風格ある小さな街」という観光ラベルを既に有していたにも関わらず、「フランスの最も美しい村」協会に加盟したかったのか?

 

それは「美しい村」に対する世間からの高い評価があるからです。

 

「フランスの最も美しい村」というラベルは明らかに、フランス北西部でしか知られていなかった「フランスの風格ある小さな街」より有名でした。

 

今でこそ「フランスの風格ある小さな街」のネットワークは拡大しましたが、今日では600以上、県内では50以上と寛容主義すぎるのが問題です。

 

分担金の面を考えれば数が増えるのは良い事でしょう。組織は安定しますし様々な方策を取ることが出来ます。しかし本当に問わなければならないのは、訪れた人々がどのように感じるかです。

 

今日はより一層この問題は重要です。なぜなら、もし訪れた人々が村に残念な印象を抱けば、SNSを通じて、瞬く間にその評判が広がってしまうからです。

 

「フランスの最も美しい村」を訪れる人々は、多かれ少なかれ村の美しさを感じてくれるでしょう。

 

「フランスの風格ある小さな街」が現在も拡大中なのは、村内に重要文化財さえあれば登録されてしまうからです。しかし統一的で調和のとれた街並みを持つ村は少なく、集落景観の質はあまり問われません。

 

まとめると「フランスの最も美しい村」協会の基礎には、3つの重要な戦略があります。私たちが行ってきた村の美しさの「質」の向上と、高い「評判」、村の「発展」です。

 

そして「発展」は村の美しさと高い評判によってもたらされると考えられるでしょう。

 

つまり私たちには無かった高い「評判」を、「美しい村」協会を通じて手に入れたかったのです。

 

私たちの村の美しさをより多くの人々に知って頂く方法が他にはありませんでした。

 

「フランスの最も美しい村」に加盟すれば、テレビなどを通じて15万人にも及ぶ観光客が、この村のこと知り、訪れてくれます。

 

例えば昼間の国営放送で紹介されれば、近郊の街から観光案内所に人々が押し寄せるのです。これが「フランスの最も美しい村」協会に加盟することで得られる効果です。

 

もちろん、住民の誇りにもつながります。「美しい村」協会は加盟する村々が、高水準の美しさを持つことを保証してきました。

 

「フランスの風格ある小さな街」に加盟する自治体には、確かに見事な教会や城などの見どころが村内に必ず一か所はあります。

 

一方で「美しい村」協会が保証しているのは、訪問者が村内のどこを訪れても、驚きに満ちた光景が広がるという事なのです。

 

こんな村は至る所にあるわけではありません。私たちは幸いにも歴史ある旧市街地に加えて、1930年代から大切にしてきた美しい自然景観があります。

 

45kmにも渡って広がる丘陵地には、醜いと感じる建物がほとんど目に入りません。例えば風力発電機ははるか遠くにしかありませんし、みすぼらしい貯水タンクや鉄塔もないのです。

 

こうした一つ一つの小さな事が、美しい景観にはとても重要なのです。

 

例えばコロンベ・レ・デュー・エグリーズ村にある巨大な十字架のモニュメントが、その周囲に自然しかないからこそ、一層惹きたてられて見えるのと同様の事なのです。

 

私たちの村を見上げる小路を散歩すれば、素朴な自然の美しさを感じるでしょう。なぜなら私が村長だった時代に、電柱・電話線を全て地中化したからです。

 

これが本当に重要な事なのです。確かに1つ1つをみれば小さな事の様に思えるでしょう。しかしそれらが合わさることで、全体の印象は大きく変わるのです。

加盟のために村役場として取り組んできた具体例を教えてください。

建築規則の制定にはもちろん取り組みました。だからこそ私たちは「フランスの美しい村」なのです。

 

資格審査を担当するパスカル事務局長が常に問うのは、景観計画を維持・推進するためのメソッドがあるかという事です。

 

具体的に問題となるのは、所有者の自由な建築・改築を制限する法的・技術的な規則があるかということや、建築物の色・形状・材料に関する規則の存在です。

景観形成の具体例~石畳の整備~

道路や広場の石畳の整備には継続して取り組んでいます。ただし、以前とは少し方法を変えました。

 

かつてはごつごつとした私たちの地域で採れる石を用いていたのですが、お年寄りや車いす、ベビーカーには少し難がありました。

 

ですから、より平らな石畳やアスファルト舗装を残して、移動に困難が生じないように工夫しました。

 

他にも、マンホールに道の石畳と同じ模様を施しました。こうすることでより目立たなくなります。

 

もしここにアスファルトなどを流し込めば、美しくないでしょう。だから私たちはこのモデルを選びました。

景観形成の具体例~村内の交通規制~

旧市街での駐車禁止の規則を導入しました。冬場は時々守られていない事もありますが、夏場は出来る限り厳密に規則を適用しています。村内の入口には移動可能な障害物を設置しています。

 

そして、村内に暮らす住民専用の駐車場を整備しました。役場のすぐそこを降りたところにあるのですが、住民全員の車を駐車するには十分なスペースがあります。

 

もちろん自宅の目の前まで車で行って、荷物を積んだり降ろしたりは出来ますよ。でも用事が済んだら駐車場に止めなければなりません。

 

広場ではまるで時代が遡ったかのような古き良き雰囲気でコーヒーを楽しむことが出来ますよ。広場に車が無いだけで本当に雰囲気が良くなって、住民の憩いの場所になるのです。

 

これは本当に高い評価を受けいています。かつてフランス協会の資格委員の1人がこの村を訪れた時に私にこう言ったんです。

 

「城などが素晴らしいのは言うまでもありません。でも、私は広場の雰囲気がとっても気に入りました。」

 

旧市街の中に住んでいる人は、ここから先の道路にも進入することができます。でも用事が済んだら、村の入口にある駐車場に車を停めなければなりません。

景観形成の具体例~案内板の統一~

村内のすべての案内板は、茶色に白地のこのデザインに統一しました。

景観形成の具体例~電線・電話線の撤去~

この辺りの建物には最近までケーブルが垂れ下がっていたのですが撤去しました。

 

そこをよく見ればわかると思いますが、ご覧の通り跡が残っています。そこにある建物も一緒ですよ。

 

村内には電線・電話線が至る所にありましたから、出来る限り目に付かないよう撤去を進めています。

景観形成の具体例~照明について~

最近の事ですが、とても醜かった照明を入れ替えました。

 

さりげない箱型の照明を設置して、こんな感じで照らしてくれるのです。

 

夜はとても綺麗ですよ。周囲にも馴染んでいて、照明装置はほとんど目に付きません。

景観形成の具体例~公共空間の整備~

公共空間の整備も実施しました。特に村の周囲にある散歩道の整備から手を付け始めました。

 

随分昔の話ですが、住民の自主的な提案を元に、使われなくなった水車を巡る散歩道を作りました。

 

旧市街では古い塔や城壁を見ることが出来ますが、村の郊外へと続く道は距離があるので、訪れる人も長時間村に滞在してくれるのです。

 

川沿いの散歩道は本当に素晴らしいですよ。村の中心にいると街全体を見ることは出来ませんが、散歩道からは丘の上に佇む美しい街の姿を見上げる事が出来るのです。

続いては、観光と景観がどのように住民生活と関係しているかについてお伺いします。

第3章:観光と住民の暮らし

観光と住民生活との関わりを教えてください。

皆さまも良くご存じのように、「観光」は村民全体の関心事ではありません。地域の政策としては新しいものですから、観光客増加が住民生活と結びつく実感が無いのです。

 

しかし私たちは沢山の観光客に訪れて頂けることを、村の日常生活を支える補完的なものとして考えています。

 

夏季に来てくださった多くの観光客の方々が村でお金を使ってくださるおかげで、小規模商店の冬季の営業を維持することが出来ています。

 

つまり観光客数が増えるオンシーズンがあるおかげで、一年を通じて質の高い住民サービスが保てるのです。私はこのような観光客と住民生活との共存が、村が生き残ることを可能にしてくれると考えています。

 

なので「観光」を語ることは、(パン屋や食料品店・薬局やカフェなど)村内の商業活動を活性化するという目的とセットなのです。

「美しい村」協会に加盟して、観光へのインパクトはありましたか?

村を訪れる全ての人々の数を計測している訳ではないので、観光へのインパクトを数値的に試算することは困難です。

 

しかしもっと簡単にその影響を理解する方法があります。村で商売を営む人々が満足しているかを見るのです。

 

村内には現在様々な宿泊施設がありますが、私が村長になった2008年には2つの民宿しかありませんでした。それが現在では18軒に増加しています。

 

村内で営業しているレストラン・ホテルは隣接する物件を購入して拡張したので、宿泊キャパシティが2倍に増えました。

 

新しくできた2つのレストランや小さなサロン・ド・テ(喫茶店)もオープンしました。その他にも、一部は夏季や土日のみの営業となりますが、15件近くの商店や芸術家のアトリエも開業しました。

 

これらは明らかに良い指標と言えるでしょう。私の感覚では芸術家の工房はもっと増やせると思います。というのも「フランスの最も美しい村」を訪れる方々は、芸術・文化と触れ合うことを期待しているからです。

 

それもただ店舗で品物を買うだけではなく、金属加工など作品が創られている現場を実際に見ることを楽しみにされています。この側面は私たちの村のウィークポイントだと思います。

観光客を増やす上で大事にしていることはありますか?

村への滞在時間を延ばすことを重視しています。2時間だけ村を散策しに来てくださるのも嬉しいですよ。でも本音を言えば、ここで食事をとって宿泊して欲しいのです。

 

だからこそ滞在時間は本当に重要です。それがなければ村内の商業活動が、上手く行かないからです。

観光客が増えすぎることで何か問題はありましたか?

夏にはあまりに人が多すぎることが問題となる事もあります。

 

若者が村内の道路を走り回ったり、星空の下、屋根の上で観光客が寝ていたこともあります。住民はその下で眠るのですから、気分は良くありませんよね。

 

だからこそ村は、モンサンミッシェルの様になることを目指す必要はないのです。あまりに多くの人々が訪れれば様々な問題が発生します。

 

村内で開催している中世祭りはとても素敵で、1日に6,000~8,000人近くの方々が訪れてくれます。一方で駐車場には限りがあるので、交通整理はとても複雑です。

 

また村内で商売を営む人達にとっても問題で、カフェのテラスが満席になってしまえば、30分近くは新規のお客様を迎え入れることは出来ません。また訪れた方々も飲食する場所がなくて困るのです。

 

なのであまりに訪れる人が多すぎても、村内の商店にとっては良い事だとは言えません。

 

一日に8,000人の訪問客よりも、毎週日曜日に800人ずつ来てくれた方が、より良いのは明らかですよね。

観光と住民の暮らしを両立するために村ではどのような政策をとりましたか?

2009年に「先買権」という法律を活用して、村内の商業活動を活性化しようと試みました。

 

なぜなら当時、旧市街には商店が一軒もなかったからです。ほとんどの物件が「売家」となっていて、全ての店は廃業していました。

 

私はこれらの建物が、1階はお年寄り、2階は夫婦、3階は若い単身者という具合に住居として活用されるべきではないと考えました。

 

実際このような提案もありましたが、私たちは村で一度物件を買い取り、レストランやカフェの開業という条件の下で再販売を行う政策をとったのです。

 

この政策は2度に渡り成功し、広場に面してカフェとレストランを迎え入れることが出来ました。

 

私たちは現在かつての売家の前に立っています。村では先買権を利用してかつて商売を営んでいたこの空き家を購入し、その後も村に新たな店が残るようにしました。

 

当時のリスクは物件の購入者が、賃貸アパートとして活用することでした。それでは村の活性化に十分に寄与することが出来ません。

 

そうではなく、この売家には村の生活を豊かにする新しい店を開業して頂くのが望ましいと考えました。

 

そこで建物の1階でレストランかバーを営むという条件の下で物件を再販売し、応募がありましたので喜んで受け入れました。すぐそこにあるもう一軒のレストランも同様です。

この政策によって移り住んだ住民の方のお話。

この村の小さな商店は私たちのカフェを含めて、多くの地元住民の方々に利用して頂くことで成り立っています。

 

住民の数は多くはありませんが、徒歩圏内に様々な商店があることは村の生活にとって本当に重要なことだと思います。

この村に移住しようと思った理由はなぜですか?

この村に移住したのは、モルトヴェイユ元村長のお陰なんです。

 

なぜ、この村を移住先として選びましたか?

 

もちろん「フランスの最も美しい村」に加盟しているという点は大変魅力的でした。それは間違いないありません。

 

この村には想像を超える美しい景観があります。石畳の道に建ち並ぶ統一的な建築物の数々は、日常生活を営む上で大変魅力的です。

 

加えてこの村は美しい自然の宝石箱に囲まれています。だからこそ私たちはこの村で働くことを決めました。

美しい村と産業との関わりを教えてください。

サント・スザンヌ村の特徴的な点ですが、私たちは豊かな歴史的文化財を有していることに加えて、美しい自然景観も楽しむことが出来るのです。

 

例えば昨年訪れたモンフランカン村という、「フランスの最も美しい村」では、バスティードと呼ばれる中世の計画都市が、とても素晴らしい街並みを形成していました。

 

しかし、村の周囲半分は森などの自然を楽しむことが出来ますが、振り返ると工業地帯や近代的な建物があるのです。

 

対して、私たちの村では360度の美しい自然景観を見渡すことが出来ます。この豊かな自然の額縁の中に、美しい歴史地区が収められているのがこの村の強みです。

 

この事実は同時に過去の村の貧しさを示しています。なぜ私たちの村が「フランスの最も美しい村」なのか?手つかずの歴史的文化財に豊かな自然景観。それは村の産業が発展しなかったから残ったのです。

 

これは明らかに過去における村の弱みといえるでしょう。工場はこの村ではなく近隣の街に立地しました。だから同じ地域でも景観は全く異なります。

 

戦後の高度経済成長期のこの村の経済状況は深刻でした。しかしそのことで村には美しい街並みが残りました。そして観光産業は現代の新しい試みなのです。

美しい村と産業の問題点を詳しく教えてください。

「フランスの最も美しい村」協会に加盟する、モンブラン・レ・バンという村が南仏にあります。私たちの村と同様に丘の上に佇んでおり、中世の美しい城を有しています。

 

モンフランカン村と同様、集落を見上げれば非常に美しい街並みを楽しめます。

 

しかし村の麓には大型のスーパーや工場などの工業地区が広がっているのです。

 

他にもサン・ネクテールというチーズの生産で有名なフランス中央部の村があります。

 

この村を本やインターネットで調べれば、崖の上に佇む美しい教会の写真を見ることが出来ます。それらをみれば誰もが自然に囲まれた美しい村という印象を持つことでしょう。

 

しかし撮影地から少しでも横を向けば、資材工場や工業地帯が目に飛び込んでくるのです。特に村の入口は完全に工業化されています。

 

サン・ネクテール村は「フランスの最も美しい村」協会に加盟することが出来ませんでした。工業地帯の景観を改善しなければ、今後も美しい村として認められることは無いでしょう。

 

モルトヴェイユ元村長はサント・スザンヌ村の工業地帯にも案内してくださいました。

 

美しい村から近代的な産業を排除するのではなく、上手く共存することが必要だと仰っていました。

 

村の郊外に位置しており、森の中に隠されているため中心部からはその姿を見ることは出来ません。

 

ちなみに旧市街地から遠く離れたこの工場の建物ですが、村が決めた景観条例に従った色に塗ることが必要だそうです。

「美しい村」運動と住民との関わりを教えてください。

「美しい村」運動とは情熱と力を集結させて、村の生活を守るための日常の闘いだと思っています。他方で住民一人一人が村の価値を認識し、美しい景観を共有財産にすることが必要です。

 

そのことが村の統一的な景観をもたらすのです。旧市街の広場から伸びる道路に広がる街並みは、私たちがまさに追い求めてきたものです。

 

統一的で調和のとれた景観は、都市の様に洗練されている必要はありません。

 

この景観を得るために、出来る限りコンクリート建築を無くし、アスファルトだった道路に石畳を敷き直しました。

 

村の美しい景観を手に入れるためには、本当に多くの時間と努力が必要となります。20~30年もの年月がかかる事もあるでしょう。

 

しかし私たちがその価値を共有し守り続かなければ、村の美しさが失われてしまうのはあっという間でしょう。

 

「最も美しい村」の原則は美術館のような人が住まない村を創る事ではありません。

 

だからこの運動の難しさの全ては、私たちの歴史的文化財を保全しながら、どのように村の暮らしを豊かにしていくかという事です。

住民からの理解を得るのは大変ではないですか?

景観において村役場として出来ることは全て行いました。しかし村の美しさを損ねており改善が可能な場所は、ほとんどが個人の民家です。

 

後でお見せしますが、美しくはなくても私有地ですからどうすることも出来ません。

 

例えば村の周囲にある菜園について言えば、放置されている場所に美しさはないものの、村の財産ではないので所有者に改善を強制することは出来ません。

 

フランスでは私有財産は不可侵なものですから、所有者に改修を強要することは出来ないのです。村も私有地の価値を高める改修に費用を支払うことは出来ません。

 

私たちは昔の農場の前に来ています。持ち主のことは子供の頃から知っていますが、1970~1980年代は家畜を育てながら事業も非常に上手く行っていました。

 

その当時、牛や馬にエサを与えるための飼料を保管するためにこの納屋を建てました。

 

納屋は手作りなので、トタン板に空洞コンクリートブロック、木の板に石綿セメントも使われてますね。本当は禁止なんですけどね。

 

この建物は村の美観を損なっていると言えるでしょう。現在は農場施設として役に立っていないだけでなく、空き家では無いものの所有者も高齢のため、取り壊しては困る理由は無いでしょう。

 

もちろん今すぐに取り壊すとなれば、所有者の意向も伺わなければなりません。とにかく村としてこの施設の成り行きを注意深く見守っていく必要があるでしょう。

 

景観的には明らかに良いものではないので、「フランスの最も美しい村」としては取り壊してかつての状態に戻す事が望ましいです。

 

住民にとっては見慣れてしまえば、確かに気にならないという面もあります。

 

しかし、どうしてもこの村を訪れてくださる人の目には付いてしまいますからね。いつになるかはわかりませんが、近い将来取り壊さなければならないでしょうね。

 

私有地におけるこうした様々な問題を解決するために、改善を促したり、説得を試みる必要があります。

 

ただし景観条例が無かった時代には、彼らは何ら問題なく建物を増改築出来たわけですから、すでにあった建物に対して改修を強要できないのです。(だから景観条例の制定は景観形成の基礎なのです。)

景観条例の重要性とその内容について教えてください。

これは「フランスの風格ある小さな街」協会で定められている景観条例の枠組みを図にしたものです。もしこの村で民家を改修しようと思ったら、外壁を好きな色に塗ることは出来ません。

 

すでに定められた色見本の中から選ぶことになります。一番上は外壁です。例えば黒色の外壁はこの村では禁じられています。

 

2番目は建築につかう仕上げ材の色、3番目のグループは門に使う扉の色、最後は窓格子や扉などに使う金具の色です。

 

こうして事前に色の選択肢を定めておくことで、村の景観に美しい統一感を生み出すことが出来ます。また村にふさわしくない建築物が生まれるのを、事前に防ぐことが可能になります。

 

壁を「真っ白」に塗ることも許可されていません。ご覧の通り明るい色を選ぶことは出来ますが、純粋な白色ではないのです。

 

フランス北西部のブルターニュ地方の村など、白色が許可されている場所もあります。選択可能な色は地域によっても異なるのです。

 

ブルターニュ地方では白と青が街並みの基調となっていますからね。

 

この色標本は村のあるマイエンヌ県のもので、同じ地域の村の間でも統一性が持てるように考え上げられたものです。

 

なぜかというと、かつては地元で採れる砂や塗料など地域の建築材が用いられていましたよね。こうした地域性が他にはない村の特徴を形成するのです。

 

「建築材について何か規則はありますか?」

 

もちろんですよ。例えば外壁には漆喰を用いなければなりませんから、どんな塗料を使っても良いという訳ではありません。

 

屋根材にはアルドワーズという石板を使って葺きます。またこの村ではかつて瓦を生産していたので、昔から瓦屋根を用いている場合には再び瓦を使って屋根を覆うことが認められています。

 

古くから瓦を使っていた歴史があるので、その伝統を続けています。しかし他の地域では石板しか認められていない場合もあります。

景観条例の具体例~屋根材~

ここから見える屋根材の中で2つは許可されたもの、1つは禁止されているものです。

 

奥から1・3・5番目に見える屋根には、アルドワーズという石板が用いられています。

 

奥から2番目の褐色の屋根は瓦です。かつてこの村で瓦が生産され用いられていたという歴史があるため、使用が許可されています。

 

奥から4番目に見える斜め格子の屋根は、石綿セメントで出来ており、景観的というよりアスベストという安全性の問題で現在は使用が禁止されています。

景観条例の具体例~建築材~

この外壁に使われているすべての石は特に特徴的です。

 

地元で切り出した砂岩を用いており、花崗岩の一種ですがとても固いのが特徴です。

 

少しピンク色を帯びているのがわかるでしょうか?これがサント・スザンヌ村の典型的な石で、村の統一的な街並みの基礎となる色となっています。

 

「この石はこの村で産出されたものですか?」

 

はい、村の城のすぐ下の岩場から採れたものです。

景観条例の具体例~外壁~

石造りの民家の外壁には漆喰を塗っています。漆喰は時間と共に少しずつ黒みを帯びていきます。その風化は醜いものではなく、私たちの村で古くから受け継がれている色なのです。

 

この外壁に見える白っぽい部分は、ここに垂れていた電話線を撤去した後で、最近新たに漆喰を塗り直した後です。

 

この作業は役場の職員が手掛けたもので、今でこそ新しいので目立っていますが、2年後には周囲とすっかり馴染んだ色に変わっていると保証しますよ。

景観美化のための補助金などは出していますか?

私たちの属するペイ・ド・ラ・ロワール地域圏から若干ではありますが民家の改修に補助金が出ています。

 

屋根や窓、外壁など外から見える範囲の改修の際には、今年度は県から20%、村から5%で、合計25%の補助を受けることが出来ます。

 

村から改修費用の5%の補助を出すのは難しい事で、他の自治体ではあまり見られない事なのですよ。改修件数自体が多くないので、幸いなことに村の財政的には助かっていますけどね。

住民の自主的活動と景観形成について教えてください。

村長と住民の関係性についてですが、私の場合は少し特殊かもしれません。というのも私は村長になる前、住民ボランティア組織の代表を務めていたんです。

 

なので2000~2009年にかけては「中世祭り」という村のイベントを運営していました。だからこの村とはずっとボランティアの活動を通じて関わってきたのです。

 

月に2回はイベントの会議や準備で集まって、200人近くのボランティアの方々と共に活動していました。

 

それらの活動を通じて築いた人間関係のおかげで、住民の皆さんと協力しながら政策を進める事が出来ました。

 

もちろん村民全員がボランティア活動に協力的な訳ではありません。古臭いやり方だとかうんざりだという方々もいます。

 

でも協力してくださる方の心の中には、この村に暮らしている事に対する誇りがあるようです。全国放送のテレビで紹介されたり、理由は様々でしょうが自慢の村なのです。

 

もちろん隣の村より不動産価格が値上がりしているという事を誇りに思っている方もいるでしょうね。(笑)

住民の暮らしと景観を両立している例はありますか?

近代的な施設は出来る限り隠すようにお願いしています。例えばこの塀の裏側にはプライベートプールがあります。

 

守るべきルールの範囲内で、住民それぞれが好きなように改修出来るんですよ。少しばかりの配慮が必要ですけどね。

 

「現代的な暮らしと上手に共存するという事ですね。」

 

そうです。誰かがこの村に家を買ったら、夏に子供と一緒にプールで遊びたいと思うのは普通です。

 

「それでも共有財産である村の美しい景観を尊重して暮らすという事ですね。」

 

もちろん、それは当たり前のことです。

村長さん自身も村を良くするために色々としていました。

これは駐車場へと続く道の屋根なのですが、村役場に頼むまでもない事だと思ったので。自動車工事用の部品を購入して私自身で改修しました。

 

(景観とは関係ありませんが、)子供がここにぶつかって怪我でもしたら大変ですからね。

住民の自主的活動によって村が綺麗になっている例はありますか?

この小川を見てください。少し水草が発生していますが、川底まで見えて綺麗ですよね。

 

実は夏に水草が川面を覆いつくす前に、住民ボランティアで川の清掃をするのです。

 

住民組織である「サント・スザンヌ友の会」が毎年7月の始めにボランティアを募って、12人ほどで熊手を使って水草をかき集めます。

 

もちろん住民への金銭的な負担は無く、村の予算でトラックを借り上げて支援します。すべては村を美しくするためです。

住民の方も自分の暮らすこの村が好きなようです。

この村の水車など、水路沿いのスケッチを描き溜めているのですね。

 

美しいイラストに簡潔な文章。本当に素晴らしいです!

 

少し技術的なものも書き留めているんですよ。

 

これは水の制御装置ですね。良く描けていますよ!

 

ヴァレリーさん宅のマツの木も描きました。あれ、どこでしょう?見当たりませんね。(笑)

続いては、「美しい村」運動の本質と将来に向けた村のプロジェクトについてお伺いします。

第4章:未来への想い

「美しい村」運動を進めていく上で重要な事は何でしょうか?

私にとって「美しい村」運動とは改善活動です。景観形成活動を一度でも行えば終わりなのではなく、日々の積み重ねによって村は徐々に美しくなります。

 

「美しい村」の再審査は現状として何が出来ていて、何が出来ていないのかを再確認する機会となっています。そして今後どこを改善すれば良いかを把握し実行します。

 

好ましくない印象を与えてしまう要因というのは、細部に宿っています。ですからどんな些細な事にも気を配ることが必要です。例えば看板のデザイン・大きさ・配置など全てです。

 

村を美しくするためのアイデアを、どんな小さな事でも良いので思い浮かべてみて下さい。

 

1つ1つは取るに足らない事かもしれません。しかしそうした地道な改善を積み重ねることで、見る者に驚きと感動を与える美しさが生まれるのです。

「フランスの最も美しい村」協会からは、どのような評価を受けていますか?

私たちは2016年に「美しい村」の再審査を受けました。次回の再審査は2023年に予定されています。

 

通常ですと6年おきですので少し間が空いています。というのも前回の再審査で美しい景観を阻害する重大な懸念材料が無いと判断されたからです。

 

「フランスの最も美しい村」協会には、現在159の村が加盟を認められています。問題が重大な場合には加盟資格が剥奪されるのですが、現在のまま景観保全に取り組めば心配はなさそうです。

村内に美しくない場所はあまり存在しないのですね?

かつては沢山あったんですよ。村内には送電線が張り巡らされていましたが、少しずつ目立たないようにしていったのです。

 

他にも地下埋め込み式のゴミ置き場を作って家庭ごみを隠しました。これは場所の限られた都会ではよく見られますが、田舎では巨大なゴミ置き場を設置することも多いのです。

 

こうした景観を悪くするものに対して、サント・スザンヌ村では普通よりも多くの費用をかけて、地中化等を進めてきたからこそ今の景観があるのです。

この村で、「最も美しくない」場所はどこでしょうか?

村全体としての美しさを考えれば、歴史地区の外側が問題として残されています。1960~1970年代に作られた新興住宅地は、美しいとは言えない状況でした。

 

村の外から見た時に、城のある歴史地区と新興住宅地の景観の間には隔たりがありました。

 

村の中心市街地へと向かう入口の道路が美しくないので、「美しい村」に恥じない景観となるよう4本の内の2カ所の道を工事し、残りの道も現在修景を進めています。

新興住宅地を案内して頂きました。

この道はまだ左右に電柱・電線が残されています。

 

この道路の突き当りを曲がると電柱が地中化され、すっきりとした印象になるのがわかると思います。

 

左手に見える家では屋根の張替えを行っています。石瓦(アルドワーズ)を用いると、数十年に一度の張り直しが必要になります。

 

右手に見える赤い建物が村の消防署です。モルトヴェイユ元村長は村の景観に相応しくないので、なんとかしたいと考えているようです。

日本の景観づくりにも参考になりそうな場所もありました。

こちらに見えるのが新興住宅地です。

 

景観条例によって壁と屋根の色が統一されるだけで、調和のとれた印象になりますよね。

 

右手に見えるのが老人ホーム、左手に見えるのが建設中のコミュニティーセンターです。

 

目の前に見える石畳は役場職員によって敷かれました。

 

こちらはゴミ収集用の箱です。県の規格に従っているだけですと仰っていましたが、周囲に上手く調和するデザインですよね。

 

ちなみにゴミ回収の際には、収集車で箱ごと吊り上げる仕組みになっています。作業員の身体的負担が少ないのも特徴です。

 

何気なく見える景観ですが、目の前の道路案内表示板を通常の規格よりも小さく作っているのだそう。城を見上げる景色を邪魔しないための配慮からです。

将来に向けた村のプロジェクト

村のプロジェクトは短・中・長期の計画を立てながら、村民全員の理解が得られるよう配慮する事が必要です。

 

それから財務バランスも考慮しなければなりません。村では財源の50%を日常生活のために、残りの50%を文化財の保護のために支出しています。

 

それと人材の管理も重要ですね。

地域の共有財産の価値を高めるための専門職員の雇用

私が村長になってまず着手したのは文化財保護のための人材を雇用することです。

 

人口1,300人の村で(文化財の保護を専門とする)フルタイムのスタッフを雇用するのは、通常の村では考えられない事ですが計画しました。

 

仕事時間の半分を使って村の歴史資料館を管理して頂いています。(コロナ禍の現在は、)資料館自体を一般公開できないので状況は少し複雑ですが・・・。

 

残りの就業時間を使って、村の歴史的文化財の保護・管理にあたって頂いています。

 

今年の夏は営業できない期間を利用して、歴史資料館のリノベーションに取り組みます。特に修士課程で文化財保護を学ぶ、専門性の高い人材を活用して少しでも魅力的な展示にしてもらう予定です。

 

また村内でボランティアを募りながら、資料館や歴史地区のガイドツアーを充実させていきます。以上が文化財の価値を高めながら村の活性化を図る政策です。

新しいデジタル技術と触れて学べる展示

デジタル技術を活用して、現代的な方法で展示をすることで村の歴史資料館がより魅力的になると考えます。

 

住民組織「サント・スザンヌ友の会」によって作られた、資料館と村の散策ルートがこの村の強みです。それを21世紀のデジタル技術によって再解釈し、もっと好奇心を掻き立てる展示にしたいと思っています。

 

ただしデジタル化だけに頼るのではなく、視覚的な工夫や触ったり出来る体験型の展示も大切です。

1年を通じて活気のある村へ

観光を通じた村の経済の活性化において大事なのは、いかにリピートして訪れて頂けるかです。

 

私たちの理想へ到達するためには、まだまだ改善の余地があると思っています。

 

例えば宿やレストラン、地域の小売店と芸術家や職人によるアトリエです。こうした村の小規模な経済活動を季節限定ではなく、1年を通じて活気づける考えを巡らせる必要があります。

 

例えば隣の県にあるサン・レオナール・デ・ボワという人口500人程の小さな村では、周囲の自然を活かしたグリーンツーリズムを促して、6つのレストランを受け入れる事に成功しています。

 

サント・スザンヌ村でも小規模事業者と連携しながら、年間を通じて村を活性化する方法を模索したいと思っています。

 

評判が評判を呼ぶので、人々がその村に行けば美味しいレストランに巡り会えることを知っていれば、自然と人々が集まってくるのです。

 

村の状況をどうすれば反転させられるかという点が、今日の課題だと思っています。

そのために注目していることは何ですか?~自転車と歩行者~

私はキャンピングカー専用の駐車場を整備しました。それはオートバイとキャンピングカーで移動する観光客を呼び込みたいと考えたからです。

 

キャンピングカーでの訪問者は、一年を通じて安定していますし、地元のパン屋や商店で買い物をし、レストランで食事もしてくれるのでありがたいです。

 

現在は21台分の駐車場を整備しており、すごく多いという訳ではありませんが、今の所十分に足りています。

 

キャンピングカーとバイクに加えて、これから考えていかなければならない訪問客は、自転車で村を訪れてくださる方々の受け入れです。

 

特に最近は電動アシスト自転車が普及しましたからね。サント・スザンヌは坂道が多いので、確実に影響があるであろう重要な変化ですね。

 

電動自転車で訪れやすい村づくりも必要です。村のどこで駐輪・充電をすることが出来るかを考えなくてはなりません。

 

自転車によっては5万円近くするものも珍しくありませんから、安全性も考慮してあげる必要があるでしょう。

 

こうした自転車の受け入れという問題に加えて、林道、砂利道、登山道の整備という最近のトレンドにも村として対応していく必要があります。

 

最後に近隣の「フランスの風格ある小さな村」を結ぶ、新しい巡回ルートの整備にも取り組んでいます。

 

全長は80km程で高低差のあるレース向きのコースや景色を楽しむサイクリングコース等、様々な需要に対応したいと考えています。

 

また約20km進むと村に辿り着くようになっていて、自転車や徒歩散策者の家族などが、宿泊や食事・買い物などのために村へ立ち寄ることが出来るよう工夫しています。

 

目の前に見える道は、歩行者や自転車・馬などの専用散策路です。出来る限り自動車道に出ない形で、旧市街まで至る道が整備されています。

中世の庭プロジェクト

私が村内でもとりわけ美しいと思っている場所は、城壁の縁を歩きながら城へと抜ける道と水車を巡る散歩道です。

 

私は村長としてこれまでの活動を引き継ぎながら、この散歩道の価値を更に高める活動を行っています。

 

自然環境の保護も含むとても複雑で難しい課題です。草原や森、生垣などを自然の共有財産として認識し、散策路のルートとして再編成するのです。

 

例えば、村の麓から続く散歩道を歩けば、城壁の外周を巡る道を経て旧市街へと向かう事が出来ます。

 

これまでは歴史地区の付属物として考えられてきたこの散策路自体を村の見どころの1つとして、新しい人の流れと散策コースを創り出したいのです。

 

現在のプロジェクトはこの散策路を様々な木々や草花で彩りながら、フランス文部科学省が認定する「注目すべき庭」に登録させることを目標にしています。

 

「注目すべき庭」に登録されれば、村の見どころとしてお墨付きを頂けますからね。

中世の庭プロジェクトについて詳しく教えて頂きました。

この斜面は住民個人の小さな菜園になっているのですが、今一度その利用法について見直そうと思っています。蛇行する川の流れを背にしながら、どうやって新しく散歩道を再編するかが課題です。

 

18世紀になると軍事的心配が無くなっていたので、村はこの土地をこれまで庭を持つことの出来なかった中心市街地の住民に菜園として売却しました。

 

ご覧の通り非常に小さい家庭菜園でしたが、現在でもガーデニングは住民の楽しみになっています。

 

一方で耕作放棄地として手つかずの区画も多く、村や個人など様々な所有者がいるこの庭を見直し、より魅力ある散歩道を作る事が課題になっています。

 

ここには最近ブドウの木々が植えられました。歴史書によればこの場所には村を隠すように、ブドウの木々が茂っていたと記されているからです。

 

かつてイギリスから征服王ウィリアムが、あの方向から村に攻めてきたと考えられています。

 

しかしこの丘を覆うブドウの木々が侵攻を妨害し、城壁の上から兵士を狙い撃ちすることで、フランス各地を征服したイギリス王から名誉ある防衛を成し遂げました。

 

だからブドウの木々とこの村の歴史は、12世紀に遡ることが出来るのですよ。

 

この下に見える区画は村が所有しており、すでに中世の庭プロジェクトに着手しています。魅力的な散歩道になるように、これから少しずつ庭の範囲を拡大していく予定です。

集落景観以外の「美しい村」の魅力にはどのようなものがありますか?

(今回は特別に車で通行させて頂きましたが、普段は車通行が禁止となっていて、散歩を楽しむ多くの人々で賑わっているそうです。)

 

私たちの村にとって、自然環境に由来する共有財産は大きな長所となっています。

 

360°見渡すことの出来る自然環境は、「フランスの最も美しい村」協会の加盟村の中でも屈指の美しさを誇っていると思います。

 

(何気ない風景に見えますが、この道の脇にもかつては電柱・電線が数多く建っていたのだそうですよ。)

 

また田舎ならではの共有財産もこの村の魅力です。例えば、村にある教会の鐘の音やニワトリの鳴き声などは村で大切に守るべき歴史的・非物質的な文化財なのです。

 

(例えば、未舗装路も重要な文化財と言えるでしょう。この村では馬が未だに暮らしに根付いており、乗馬をしながら村を一周することも出来ますよ。)

「美しい村」とはどのような存在ですか?

私にとってサント・スザンヌ村は、フランス、そして世界の中でも「最も美しい村」の1つだと思っています。

 

もちろん私はこの村を愛しすぎているからこの様に思えるだけかもしれません。生まれてからずっとこの村が好きでしたから。

 

両親や祖父母そして先祖が愛したこの村は、決して多くの人々が生活している訳ではありませんが、私たちにっては幸せな暮らしがあるのです。

 

この村には未だに多くの可能性が残されており、より魅力的な場所にする事が出来ると考えています。

 

美的な側面は何よりもまず大事にしてきたもので、丘が織り成す立体感のある村の美しさは、「フランスの最も美しい村」でも随一だと思います。

 

もちろん平地に佇む美しい村もあり、例えばフランス南西部の村々も素敵ですよ。

 

ただこの浮き出るような村の景観がこの村の特徴で、11~18世紀にかけて建設された様々な歴史的文化財を一度に目にすることが出来るのです。

 

住民は1,300人程と現在は多くはありませんが、この丘の裏側には新興住宅地があり、ここからはほとんど見えないように配慮されています。

 

美しさの面でまだ至らない面もあるかとは思いますが、それでも「美しい村」の名に恥じない景観だと思います。

 

「最も美しい村」運動とは終わりのない改善活動で、例えばこの場所は2カ月前に草刈りを終えたばかりです。自然に任せているだけでは駄目で、目の前に木が生い茂ってしまえば何も見えませんよね。

 

最終的に私が考える「最も美しい村」とは、「私が愛する村」ではないでしょうか?少し単純すぎるかもしれませんね。

 

45年も前の話になりますが、私が初めて参加した村のコンクールは、「私の愛する村」という名前でしたよ。

 

これは日本でもフランスでも同じことだと思いますが、全ての村の首長は同じ思いを抱いているのではないでしょうか?つまり「村のために何かをしたい。」という事です。

 

それは村で大切にしてきた共有財産を守り、将来世代へと伝えていきたいという事かもしれませんし、より多くの方々に村の存在を知って頂くことで、経済的に村の生活を守り、存続させる事かもしれません。

 

単に村の文化財を美術館のように保全して、住民の暮らしの無い村を将来に残すことはだれも望まないでしょう。

 

日々の生活を営む住民の笑顔に溢れ、1人でも多くの方々に村の良さを知ってもらう。

 

毎日地下鉄に乗って工業地域で働き、集合住宅で寝食をする都会の人々にとって、村で営まれる生活は魅力的に映るでしょう。

 

そんな村の美しい景観と暮らしを守ることが、「最も美しい村」運動の意義ではないでしょうか?将来のために今出来ることから積み重ねるのです。

モルトヴェイユ元村長、ガルヴァンヌ村長。そしてサント・スザンヌ村の皆様、本当にありがとうございました。

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