
ブルアージュ/Brouage
【沼地に囲まれた要塞貿易港】
シャラント・マリティーム県の中核都市ロシュフォールと、
大西洋に浮かぶオレロン島の中間地点に佇むこの村は、
かつてサントンジュ湾に面した塩貿易の港として栄えた。
現在は100種を超える鳥類が暮らす沼地の楽園が周囲を取り囲み、
17世紀に要塞化された中世の都市と対比され唯一無二の風景が広がっている。
沼地に閉じ込められたこの村の数奇な運命に思いを馳せながら村を散策すれば、
未来に向かって進んでいる美しい村としての真の姿が浮かび上がってくるだろう。

ブルアージュ/Brouage
【沼地に囲まれた要塞貿易港】
シャラント・マリティーム県の中核都市ロシュフォールと、大西洋に浮かぶオレロン島の中間地点に佇むこの村は、かつてサントンジュ湾に面した塩貿易の港として栄えた。
現在は100種を超える鳥類が暮らす沼地の楽園が周囲を取り囲み、17世紀に要塞化された中世の都市と対比され唯一無二の風景が広がっている。
沼地に閉じ込められたこの村の数奇な運命に思いを馳せながら村を散策すれば、未来に向かって進んでいる美しい村としての真の姿が浮かび上がってくるだろう。

中世の軍事要塞
街が築かれたのが1555年の事で、当時は海に面した港町として栄えた。とりわけ北ヨーロッパの国々へ塩を運び出しており、塩税関としての機能を有していた。宗教戦争が勃発した際にはカトリック教徒とプロテスタント教徒の争いに巻き込まれたが、1578年にフランス王アンリ3世の下で王室直属の街となったことで難を逃れた。
1628年にはラ・ロシェルの軍隊に対抗するため、街を治めていたリシュリュー枢機卿の命によって強固な要塞が築かれた。街を取り囲む壁は全長2km、高さ8mにも及び、7つの稜堡と19の物見台を備えている。とりわけ外に突き出した稜堡は印象的で、1685年にフランス随一の軍事技術者として名高いヴォーバンの手によって改築が施されたことを示している。かつて護衛が巡回した周囲の壁の上を歩けば、地平線まで沼地が広がる眺望に息を呑むことだろう。
中世の軍事要塞

街が築かれたのが1555年の事で、当時は海に面した港町として栄えた。
とりわけ北ヨーロッパの国々へ塩を運び出しており、塩税関としての機能を有していた。
宗教戦争が勃発した際にはカトリック教徒とプロテスタント教徒の争いに巻き込まれたが、1578年にフランス王アンリ3世の下で王室直属の街となったことで難を逃れた。
1628年にはラ・ロシェルの軍隊に対抗するため、街を治めていたリシュリュー枢機卿の命によって強固な要塞が築かれた。
街を取り囲む壁は全長2km、高さ8mにも及び、7つの稜堡と19の物見台を備えている。
とりわけ外に突き出した稜堡は印象的で、1685年にフランス随一の軍事技術者として名高いヴォーバンの手によって改築が施されたことを示している。
かつて護衛が巡回した周囲の壁の上を歩けば、地平線まで沼地が広がる眺望に息を呑むことだろう。
活気あふれる中心市街地
中世に砦の壁の外側に広がっていた天日塩田は牡蠣やムール貝の養殖場へと姿を変えたが、村内には王立の鍛冶場、地下貿易港、火薬庫など往時の繁栄を伝える歴史的な建物が数多く残されている。また職人の工房兼販売所は、品のいいブティックへと入れ替わり、シャラント地方の建築に特徴的なシンプルで明るいファサードからなる街並みを活気づけている。
「アール・オ・ヴィーヴル」と呼ばれる17世紀に建てられた食物倉庫は、煉瓦づくりの外観が印象的。現在は軍事建築の資料センターとして活用されているほか、この村の塩貿易の歴史についての常設展が催されている。

活気あふれる中心市街地

中世に砦の壁の外側に広がっていた天日塩田は牡蠣やムール貝の養殖場へと姿を変えたが、村内には王立の鍛冶場、地下貿易港、火薬庫など往時の繁栄を伝える歴史的な建物が数多く残されている。
また職人の工房兼販売所は、品のいいブティックへと入れ替わり、シャラント地方の建築に特徴的なシンプルで明るいファサードからなる街並みを活気づけている。
「アール・オ・ヴィーヴル」と呼ばれる17世紀に建てられた食物倉庫は、煉瓦づくりの外観が印象的。
現在は軍事建築の資料センターとして活用されているほか、この村の塩貿易の歴史についての常設展が催されている。

サン・ピエール教会
村の中央に堂々とした姿で佇むサン・ピエール教会は、ゴシック様式からルネサンス様式への転換期にあった1608年に建てられた。天井が船を裏返しにしたような構造をしていることから、地元の船大工によって建てられたと考えられている。
教会内部には、18世紀の聖母マリア像や17世紀に莫大な富を成した塩の貿易商の墓などが収められている。またカナダ・ケベック地域を築いたサミュエル・ド・シャンプランがこの街で生まれ育ったことから、村と縁深いカナダのフランス領「ヌーヴェル・フランス」に関する展示や、フランスとケベックの友好を祝すステンド・グラスなどを見ることが出来る。
サン・ピエール教会

村の中央に堂々とした姿で佇むサン・ピエール教会は、ゴシック様式からルネサンス様式への転換期にあった1608年に建てられた。
天井が船を裏返しにしたような構造をしていることから、地元の船大工によって建てられたと考えられている。
教会内部には、18世紀の聖母マリア像や17世紀に莫大な富を成した塩の貿易商の墓などが収められている。
またカナダ・ケベック地域を築いたサミュエル・ド・シャンプランがこの街で生まれ育ったことから、村と縁深いカナダのフランス領「ヌーヴェル・フランス」に関する展示や、フランスとケベックの友好を祝すステンド・グラスなどを見ることが出来る。
マリー・マンシーニの階段
村にはフランス王ルイ14世と宰相を務めたマザラン枢機卿の姪だったマリー・マンシーニの間に起きた、17世紀の悲恋の物語が語り継がれている。結婚を誓い合うほどの恋に落ちた二人だったが、スペインとの和平の証しとして政略結婚が取り決められたため、絶対に叶わぬ恋となり二人は引き裂かれ、マンシーニ嬢はこの地へ幽閉された。スペイン王女との結婚後、若きルイ14世はこの街に立ち寄り失恋の思いで涙を流したと言われる。
村内に残されているマリー・マンシーニの階段には、マンシーニ嬢が外の世界に思いを馳せるために足繁く登ったという逸話が伝えられている。

マリー・マンシーニの階段

村にはフランス王ルイ14世と宰相を務めたマザラン枢機卿の姪だったマリー・マンシーニの間に起きた、17世紀の悲恋の物語が語り継がれている。
結婚を誓い合うほどの恋に落ちた二人だったが、スペインとの和平の証しとして政略結婚が取り決められたため、絶対に叶わぬ恋となり二人は引き裂かれ、マンシーニ嬢はこの地へ幽閉された。
スペイン王女との結婚後、若きルイ14世はこの街に立ち寄り失恋の思いで涙を流したと言われる。
村内に残されているマリー・マンシーニの階段には、マンシーニ嬢が外の世界に思いを馳せるために足繁く登ったという逸話が伝えられている。
ブルアージュについて詳しく知りたい!
フランスの最も美しい村

シャラント・マリティーム県イエ・ブルアージュ村ブルアージュ/Brouage (Hiers-Brouage, CHARENTE-MARITIME)
面積:31,35 km2 (イエ・ブルアージュ村)
人口:626人(2016年現在)(イエ・ブルアージュ村)
2019年02月27日:ページ更新
2020年12月17日:ページ更新
行き方

現在この村へ向かう電車やバスはないため、近郊の街からタクシー等の利用が必要です。
2019年に訪れた際は、レンタカーを利用しました。村への入口に大きな駐車場が整備されているので、車での移動も安心ですよ。
パリ・モンパルナス駅(Paris Montparnasse 1 et 2)からTGVに乗ってラ・ロシェル駅(La Rochelle)下車。(約3時間20分)
ラ・ロシェル駅(La Rochelle)で在来線に乗り換えて、ロシュフォール駅(Rochefort)下車。(約40分)
ロシュフォール駅(Rochefort)駅からタクシーに乗って、ブルアージュへ(※約30分)
ボルドー(Bordeaux)から170km(約2時間)
ボルドー・メリニャック空港から170km(約2時間)
ブルアージュのお勧めホテル

村内がオレンジに輝く夕暮れ時や、夜のライトアップ、朝霧に包まれた街並みなど、時間によって様々な表情を見せるのが美しい村の魅力。
フランスの最も美しい村の予約はbooking.comが便利で、毎回お世話になっています。残念ながらこの村にはbooking.comから予約できる宿泊施設は現在ありませんので、ブルアージュ近郊にあるお勧めの宿を紹介いたしますので参考にして頂ければ幸いです。
Booking.comの総合スコア9.2と高評価なこの宿泊施設は、800年以上の歴史を持つ小さな城を改装したホテルです。室内は綺麗にリノベーションされていますが、強固な趣の外観はまるで中世にタイムスリップしたかのよう。ブルアージュ中心市街地まで22km程離れているため、車で移動できる方にお勧め。料金は2名1泊で130€(朝食別)です。
【一緒に訪れたい美しい村】
ブルアージュから車で40分(40km)
ブルアージュから車で60分(60km)
ブルアージュから車で60分(70km)
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