チヴィタ・ディ・バーニョレージョ/Civita di Bagnoregio

 

【天空に浮かぶ死にゆく街】

 

全長300mにも及ぶ1本の橋によって結ばれたこの村は、

火山灰が凝固して出来た凝灰岩の丘の上に佇む。

周囲を流れる小川や雨風による浸食作用により、

ゆっくりと集落の土台が削られ続けており、

いつかは消滅を避けられぬ悲しい運命を背負っている。

陸の孤島という表現がぴったりと当てはまる幻想的な景観は、

今日多くの人々を魅了して止まない。

チヴィタ・ディ・バーニョレージョ/Civita di Bagnoregio

 

【天空に浮かぶ死にゆく街】

 

全長300mにも及ぶ1本の橋によって結ばれたこの村は、火山灰が凝固して出来た凝灰岩の丘の上に佇む。

 

周囲を流れる小川や雨風による浸食作用により、ゆっくりと集落の土台が削られ続けており、いつかは消滅を避けられぬ悲しい運命を背負っている。

 

陸の孤島という表現がぴったりと当てはまる幻想的な景観は、今日多くの人々を魅了して止まない。




村の歴史

 

この村は少なくとも2,500年以上前にエトルリア人によって築かれたとされ、かつては5つの港を結ぶ交易の街として栄えたと言われている。しかしながら、自然の浸食によって集落の佇む丘は徐々に削られ、追い打ちをかけるように発生した三度に及ぶ地震が村に壊滅的な被害をもたらした。

 

特に1794年に起きた2回目の地震によって生じた土砂崩れは、村を結んでいた自然の橋を巻き込み、ほとんどの住民は丘の麓の街へと避難せざるを得なかった。1965年にようやく鉄筋コンクリートの橋が架けられ、今日では人間の顔を鷲掴みにする1対のライオンの彫像が彩るサンタ・マリア門が村唯一の玄関口として訪れる人々を出迎えている。

村の歴史

この村は少なくとも2,500年以上前にエトルリア人によって築かれたとされ、かつては5つの港を結ぶ交易の街として栄えたと言われている。

 

しかしながら、自然の浸食によって集落の佇む丘は徐々に削られ、追い打ちをかけるように発生した三度に及ぶ地震が村に壊滅的な被害をもたらした。

 

特に1794年に起きた2回目の地震によって生じた土砂崩れは、村を結んでいた自然の橋を巻き込み、ほとんどの住民は丘の麓の街へと避難せざるを得なかった。

 

1965年にようやく鉄筋コンクリートの橋が架けられ、今日では人間の顔を鷲掴みにする1対のライオンの彫像が彩るサンタ・マリア門が村唯一の玄関口として訪れる人々を出迎えている。

サン・ドナート教会

 

中央広場に佇むサン・ドナート教会は村の象徴で、伝承によればその歴史は5世紀に遡ると言われている。構造としては初期ロマネスク様式の名残りを留めているが、16世紀に改修された際にルネサンス様式のファサードへと姿を変えた。

 

教会内は白を基調とした、美しい空間が広がっている。特に中世イタリアの宗教画に大きな影響を与えたペルジーノ学派によるフレスコ画や、写実的で人間的な表情を描くことで評価の高いドナテッロ学派が15世紀に手掛けた木製のキリスト十字架像などは必見である。

サン・ドナート教会

中央広場に佇むサン・ドナート教会は村の象徴で、伝承によればその歴史は5世紀に遡ると言われている。

 

構造としては初期ロマネスク様式の名残りを留めているが、16世紀に改修された際にルネサンス様式のファサードへと姿を変えた。

 

教会内は白を基調とした、美しい空間が広がっている。

 

特に中世イタリアの宗教画に大きな影響を与えたペルジーノ学派によるフレスコ画や、写実的で人間的な表情を描くことで評価の高いドナテッロ学派が15世紀に手掛けた木製のキリスト十字架像などは必見である。

聖ボナベンチュラの故郷

 

13世紀イタリアにおいてフランシスコ会学派の総長を務め、当時の二大神学者として名を馳せた聖ボナベンチュラもこの村で生まれた。彼が暮らしたとされる家は1524年に礼拝堂へと生まれ変わったものの、容赦なく降り注ぐ自然の猛威により廃墟と化してしまった。現在は、階段跡などが当時の面影を今に伝えている。

 

また村の一番奥にはマドンナ・デル・カルツェレ礼拝堂があり、かつてはエトルリア人の墓地としても用いられていた。またすぐ近くには古代チヴィタ資料館と名付けられた、エルトリア人の住居跡がある。圧搾機や農耕具、陶器の壺などが置かれ、洞窟に暮らした人々の暮らしを伺い知ることが出来るようになっている。

聖ボナベンチュラの故郷

13世紀イタリアにおいてフランシスコ会学派の総長を務め、当時の二大神学者として名を馳せた聖ボナベンチュラもこの村で生まれた。

 

彼が暮らしたとされる家は1524年に礼拝堂へと生まれ変わったものの、容赦なく降り注ぐ自然の猛威により廃墟と化してしまった。

 

現在は、階段跡などが当時の面影を今に伝えている。

 

また村の一番奥にはマドンナ・デル・カルツェレ礼拝堂があり、かつてはエトルリア人の墓地としても用いられていた。

 

またすぐ近くには古代チヴィタ資料館と名付けられた、エルトリア人の住居跡がある。

 

圧搾機や農耕具、陶器の壺などが置かれ、洞窟に暮らした人々の暮らしを伺い知ることが出来るようになっている。

ルネサンス様式の館

 

ルネサンス様式の館が点在する村内でとりわけ目を惹くのが、サン・ドナート広場に面して佇むアレマーニの館。建築が始まったのは16世紀後半で、この村の名士の家系が暮らした。今日はこの村の数奇な運命を物語る地質・地滑り博物館として活用されている。

 

また道沿いには、中世におけるこの地域の伝統的な民家が数多く建ち並ぶ。プロフェルリと呼ばれる階段およびバルコニーが道路に面して設けられているのが特徴的で、黄土色の石造りの家々が陽の光を浴びて輝きを放っている。

ルネサンス様式の館

ルネサンス様式の館が点在する村内でとりわけ目を惹くのが、サン・ドナート広場に面して佇むアレマーニの館。

 

建築が始まったのは16世紀後半で、この村の名士の家系が暮らした。

 

今日はこの村の数奇な運命を物語る地質・地滑り博物館として活用されている。

 

また道沿いには、中世におけるこの地域の伝統的な民家が数多く建ち並ぶ。

 

プロフェルリと呼ばれる階段およびバルコニーが道路に面して設けられているのが特徴的で、黄土色の石造りの家々が陽の光を浴びて輝きを放っている。

チヴィタ・ディ・バーニョレージョについて詳しく知りたい!

イタリアの最も美しい村

ヴィテルボ県バーニョレージョ町チヴィタ(チヴィタ・ディ・バーニョレージョ、チヴィタディバーニョレージョ、チヴィタ・ディ・バニョレージョ、チヴィタディバニョレージョ)/Civita(Bagnoregio, VITERBO)

面積:7,92km2(バーニョレージョ町)

人口:11人(チヴィタ集落、2021年現在)

写真1枚目:Photoed by Asso74 – pixabay.com

写真2枚目:Photoed by Jorik_van_der_Schaaf – pixabay.com

写真3枚目:Photoed by Maurizio Zanetti – Flickr

写真4, 5枚目:Photoed by fortherock – Flickr

写真6, 7枚目:Photoed by Ethen Rera – Flickr

写真(アイキャッチ画像右上):Photoed by zorgog – pixabay.com

2022年4月9日:ページ更新

行き方

テルニ県の中核都市オルヴィエートからバスが出ているので、公共交通機関のみでも気軽に訪れることが出来ます。

 

ただし村への訪れるには徒歩で橋を渡るしかないので、身体に不安のある方は注意が必要です。また橋を渡るために入場料がかかることも、頭に入れておくと良いでしょう。

ローマ・テルミニ駅(Roma Termini)から電車に乗って、オルヴィエート駅(Orvieto)下車(※約1時間30分)

 

オルヴィエート駅前停留所から、コトラル社(Cotral)のバスに乗って、オルヴィエート停留所下車(※約40分)

ローマから130km(約1時間50分)

ローマ・フィウミチーノ空港から150km(約2時間)




チヴィタ・ディ・バーニョレージョのお勧めホテル

村内がオレンジに輝く夕暮れ時や、夜のライトアップ、朝霧に包まれた街並みなど、時間によって様々な表情を見せるのが美しい村の魅力。

 

イタリアの最も美しい村の予約はbooking.comが便利で、毎回お世話になっています。チヴィタ・ディ・バーニョレージョにあるお勧めの宿を紹介いたしますので参考にして頂ければ幸いです。

民間オーナーによる多くの宿泊施設が建ち並ぶこの村で、Booking.comの総合スコア9.4と高評価を受けているこの宿泊施設。室内は木や土壁など自然の風合いを活かした、ナチュラルでスタイリッシュな空間。簡易キッチンも備えているので、のんびりと料理を作りながら村の暮らしを楽しんでみるのも良いでしょう。まるで映画の1シーンのような、忘れられない滞在が出来ますよ。料金は2名1泊で140€です。

 

また最大4名まで宿泊可能な客室も備えているので、ご家族などでの利用もお勧めです(4名1泊で220€)。



Booking.com




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