テルエルの地を横切って流れるリナレス川(Linares)とモンレオン川(Monlleo)が造り出す、起伏の多い山の上にプエルトミンガルボの村は佇む。村名は、イスラム教徒による支配の時代にこの地を治めていたアラブ人イブン・ガルボン家(Ibn Galvon)に由来すると考えられている。
プエルトミンガルボの城は1202年にはすでにこの場所にあったとの記録が残っている。村を取り囲む城壁は見事に保存され、今日でも訪れたものを圧倒する。かつて街へ入りための入口は4つ存在した。残念ながらウンブリア(Umbría)門とオンダ(Onda)門は消失してしまったが、14世紀のサン・アントニオ(San Antonio)門(※もしくはポルタル・アルト(Portal Alto))と12~13世紀のポルタリコ(Portalico)(※もしくはポルタル・バホ(Portal Bajo))は現存している。しかしながら、村の発展に重要な役割を果たした城そのものは村の一番西にごくわずかな部分を残すのみとなっている。
街の中心にある村役場は14世紀の美しいゴシック様式の建物の中にある。同じ建物内には観光案内所があるので村の情報を得ることが出来る。また併設されているマエストラスゴ城インタープリテーション・センター(Centro de Interpretacion de Castillos del Maestrazgo)では、この地域の城の起源とその発展について知ることが出来るので訪れてみると良い。
村役場の裏手には、入口の装飾が見事なバロック様式の教会がある。一般的なバロック様式の教会より規模が大きいのは、18世紀にプロテスタントから改宗しカトリックの教会となった際に、人々の信仰を維持するために建物の拡張工事をしたためである。教会横には、1739年に石大工によって建てられた塔があり、上部は鐘楼として利用されている。
プエルトミンガルボには14世紀に街が最も拡大した時の狭い道路や民家がそのまま残されており、一歩足を踏み入れると中世の時代に迷い込んだかのような錯覚を覚える。