スイスを流れるティチーノ川(Ticino)と大都市ミラノを結ぶ大運河(Naviglio Grande)の河岸に位置するカッシネッタ・ディ・ルガニャーノは、ミラノから40kmほどしか離れていないにも関わらず閑静な趣の村である。
18世紀のミラノ貴族にとって運河沿いに別荘を持つことが一つのステータスになっており、トリヴルツィオ家(Trivulzio)、ヴィスコンティ家 (Visconti)、マンテガッツァ家(Mantegazza)、カスティリオーニ家(Castiglioni)、パッラヴィチーニ家(Parravicini)といったミラノの名だたる有力貴族が競って別荘を建てた。その中の一つ、ヴィスコンティ邸がこの村に残されている。1392年にはすでにこの土地を所有していたヴィスコンティ家は、18世紀に黄色のファサードとネオ・クラシカル様式が美しい別荘を建てた。中にはイタリア様式の庭園と、1850年にバルザレット(Balzaretto)が手掛けた英国様式の庭園がある。
その他にも村内には、ビラーゴ・クラリ・マンツィーニ邸(Villa Birago Clari Monzini)やオーストリアの将軍ドンボウスキー(Dembowski)によって建てられたネグリ邸(Villa Negri)なども残されているので見て回りたい。
かつてこの村は「ルガニャーノ」と「カッシネッタ」という2つの集落に分かれており、ローマ時代にはすでにこの村で農業を生業とするコミュニティが存在していたと考えられている。1251年に初めてルガニャーノの語源である「Lucanianus」が文献の中に登場し、この地に堀に囲まれた城があったと記述されている。一方でカッシネッタの地名は、15世紀にミラノ公フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ(Filippo Maria Visconti)のお屋敷で教師をしていたマッフィオロ・ビラーゴ(Maffiolo Birago)によって建てられた小別荘カッシーナ・ビラーガ(Cassina Biraga)に由来すると言われている。1862年に二つの集落が統合され、現在の名前となった。
「ルガニャーノ」と「カッシネッタ」の集落は大運河によって分け隔てられていたが、2つの集落が統合された1862年に橋が再建された。橋の入口にはこの村を訪れたすぐ後に命を落としたミラノ大司教サン・カルロ・ボッロメーオ(San Carlo Borromeo)の像が飾られている。またビラーゴによって1435年に建てられたサンタ・マリア・ナスチェント・エ・サン・タントニオ・アバテ(Santa Maria Nascente et Sant’Antonio Abate)教会も18世紀に改築され現在も見ることが出来る。
運河沿いに座りながら犬を連れて散歩する人々など眺めて、ゆっくりとした時間を過ごしたい。