
モンマルトル/Montmartre
【芸術家に愛された聖なる丘】
パリの街を見護るように建てられた白い大聖堂は、
フランスを代表する建造物として世界的に有名。
丘の上に風車が点在する牧歌的な農村は、
19世紀に芸術家の集う歓楽街へと姿を変え、
今日もおしゃれなカフェやレストランで賑わいを見せる。
フランス近代絵画の巨匠たちに描かれた絵画の世界、
そして21世紀の映画『アメリ』の光景が広がっている。
目次【本ページの内容】

モンマルトル/Montmartre
【芸術家に愛された聖なる丘】
パリの街を見護るように建てられた白い大聖堂は、フランスを代表する建造物として世界的に有名。
丘の上に風車が点在する牧歌的な農村は、19世紀に芸術家の集う歓楽街へと姿を変え、今日もおしゃれなカフェやレストランで賑わいを見せる。
フランス近代絵画の巨匠たちに描かれた絵画の世界、そして21世紀の映画『アメリ』の光景が広がっている。
目次【本ページの内容】

名前の由来
今から約2000年前のガロ・ローマ時代に戦の神マールスを祀る神殿が建てられてたことから、マールスの山を意味するモン・マルティスの名でこの丘は呼ばれていた。またこの丘へ向かう道中は殉職を意味するマルティール通りと呼ばれ、初代パリ司教である聖ドニがキリスト教徒の迫害によって首を切り落とされたという伝説が残っている。
ローマ神話に登場する異教の神の名を使うことはふさわしくないため、4世紀ごろからキリスト教徒にとって親しみやすい名称である殉職の丘(モン・マルトル)の名で呼ばれるようになったと考えられている。
名前の由来

今から約2000年前のガロ・ローマ時代に戦の神マールスを祀る神殿が建てられてたことから、マールスの山を意味するモン・マルティスの名でこの丘は呼ばれていた。
またこの丘へ向かう道中は殉職を意味するマルティール通りと呼ばれ、初代パリ司教である聖ドニがキリスト教徒の迫害によって首を切り落とされたという伝説が残っている。
ローマ神話に登場する異教の神の名を使うことはふさわしくないため、4世紀ごろからキリスト教徒にとって親しみやすい名称である殉職の丘(モン・マルトル)の名で呼ばれるようになったと考えられている。
村の歴史
信仰の丘として古い歴史を持つこの地が大きく発展したのは、1136年にフランス国王ルイ6世がノートルダム王立修道院を設立したことに遡る。1686年まで使われたベネディクト会修道女のための施設で、その後は1622年に丘の麓に新たに建設された修道院へと移転した。18世紀終わりにフランス革命が起こると、1794年に取り壊しが行われ宗教的な役割を終えた。
新政府の下で新たな行政制度が確立された1789年に、モンマルトルは1つの自治体として認められた。当時はまだ風車が回る長閑な農村で、パリ社会から取り残された貧しい人々が丘の上へと移り住んだ。1860年に正式にパリ市に組み込まれたが、労働者自治政府の確立を目指した1871年のパリ・コミューンの際には大砲が持ち込まれるなど革命軍の拠点となったことでも知られている。

村の歴史

信仰の丘として古い歴史を持つこの地が大きく発展したのは、1136年にフランス国王ルイ6世がノートルダム王立修道院を設立したことに遡る。
1686年まで使われたベネディクト会修道女のための施設で、その後は1622年に丘の麓に新たに建設された修道院へと移転した。
18世紀終わりにフランス革命が起こると、1794年に取り壊しが行われ宗教的な役割を終えた。
新政府の下で新たな行政制度が確立された1789年に、モンマルトルは1つの自治体として認められた。
当時はまだ風車が回る長閑な農村で、パリ社会から取り残された貧しい人々が丘の上へと移り住んだ。
1860年に正式にパリ市に組み込まれたが、労働者自治政府の確立を目指した1871年のパリ・コミューンの際には大砲が持ち込まれるなど革命軍の拠点となったことでも知られている。

ブドウ畑
修道院が設立された12世紀以降、モンマルトルの丘の上ではワイン用のブドウが多く栽培されていた。しかし都市化に伴い少しずつ住宅地化が進んだことで、19世紀末には全てのブドウ畑が消滅してしまう。かつての伝統と景観を取り戻そうと住民運動が起こり、1933年にパリ市が購入していた0.15ヘクタールの土地に再びブドウの樹が植えられた。
翌年の1934年から始まったブドウ収穫祭は、モンマルトルの丘の名物行事として親しまれている。収穫されたブドウは、パリ18区役所内にあるワインセラーで圧搾。製造された1000本ほどのワインはオークションで販売され、モンマルトル住民のための社会事業に使われている。
ブドウ畑

修道院が設立された12世紀以降、モンマルトルの丘の上ではワイン用のブドウが多く栽培されていた。
しかし都市化に伴い少しずつ住宅地化が進んだことで、19世紀末には全てのブドウ畑が消滅してしまう。
かつての伝統と景観を取り戻そうと住民運動が起こり、1933年にパリ市が購入していた0.15ヘクタールの土地に再びブドウの樹が植えられた。
翌年の1934年から始まったブドウ収穫祭は、モンマルトルの丘の名物行事として親しまれている。
収穫されたブドウは、パリ18区役所内にあるワインセラーで圧搾。
製造された1000本ほどのワインはオークションで販売され、モンマルトル住民のための社会事業に使われている。
芸術家に愛された街
村らしい素朴で情緒ある風景が残っていたモンマルトルは、19世紀末から20世紀初頭にかけて多くの芸術家を惹きつけた。この地に所縁のある画家を挙げれば枚挙にいとまがないが、とりわけ印象派の巨匠ルノワールやポスター作家として有名なロートレックなどは、この街の日常を描いた名作を残したことで知られている。
「20世紀最大の芸術家」と謳われるピカソやエコール・ド・パリを代表するイタリア人画家モディリアーニらが居住し創作活動に励んだ、「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」という名の集合アパートも有名。1970年の火災により焼失してしまったが、すぐに復元され、現在も芸術愛好家の聖地として多くの人々が訪れている。

芸術家に愛された街

村らしい素朴で情緒ある風景が残っていたモンマルトルは、19世紀末から20世紀初頭にかけて多くの芸術家を惹きつけた。
この地に所縁のある画家を挙げれば枚挙にいとまがないが、とりわけ印象派の巨匠ルノワールやポスター作家として有名なロートレックなどは、この街の日常を描いた名作を残したことで知られている。
「20世紀最大の芸術家」と謳われるピカソやエコール・ド・パリを代表するイタリア人画家モディリアーニらが居住し創作活動に励んだ、「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」という名の集合アパートも有名。
1970年の火災により焼失してしまったが、すぐに復元され、現在も芸術愛好家の聖地として多くの人々が訪れている。

テルトル広場
モンマルトルの丘の上に佇むのは、村政が始まった1790年からパリ市に編入される1860年まで村役場が置かれていたテルトル広場。当時の中心市街地として賑わい、1793年創業で今なお営業を続けている「ア・ラ・メール・カトリーヌ」は広場で最も古いレストランとして知られている。
19世紀以降は芸術家が集まり、交流の場として賑わいをみせた。現在もパリ市から正式に許可を得た腕利きの画家が露店を開き、自身の作品を販売している。それぞれ異なる技法や流派を得意とするアーティストの中からお気に入りを探すのが楽しく、その場でオーダーして依頼者の似顔絵を描いてもらうサービスは特に人気がある。
テルトル広場

モンマルトルの丘の上に佇むのは、村政が始まった1790年からパリ市に編入される1860年まで村役場が置かれていたテルトル広場。
当時の中心市街地として賑わい、1793年創業で今なお営業を続けている「ア・ラ・メール・カトリーヌ」は広場で最も古いレストランとして知られている。
19世紀以降は芸術家が集まり、交流の場として賑わいをみせた。
現在もパリ市から正式に許可を得た腕利きの画家が露店を開き、自身の作品を販売している。
それぞれ異なる技法や流派を得意とするアーティストの中からお気に入りを探すのが楽しく、その場でオーダーして依頼者の似顔絵を描いてもらうサービスは特に人気がある。
ムーラン・ド・ラ・ギャレット①:2基の風車
18世紀初頭には30基近くの風車が点在する牧歌的な風景が広がっていた、古き良き時代のモンマルトルの面影を今に伝えているのが「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。製粉業を営んでいたドブレ家が1809年に購入した、現存する2基の風車を総称した呼び名である。
どちらの風車も使われている建材は、13世紀後半に遡ることが出来ると創業家によって語られている。1622年と1717年に現在の姿の原型が形作られ、とりわけ前者は当時の粉を挽くための機構が残るモンマルトルで唯一の風車となっている。

ムーラン・ド・ラ・ギャレット①:2基の風車

18世紀初頭には30基近くの風車が点在する牧歌的な風景が広がっていた、古き良き時代のモンマルトルの面影を今に伝えているのが「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。
製粉業を営んでいたドブレ家が1809年に購入した、現存する2基の風車を総称した呼び名である。
どちらの風車も使われている建材は、13世紀後半に遡ることが出来ると創業家によって語られている。
1622年と1717年に現在の姿の原型が形作られ、とりわけ前者は当時の粉を挽くための機構が残るモンマルトルで唯一の風車となっている。

ムーラン・ド・ラ・ギャレット②:バル/ダンスホール
風車のあった自身の農場にダンスホールを開いたのは1834年の事で、当初は「バル・ドブレ」の名が付けられていた。牛乳と共に出されるライ麦のパンが好評で、次第に人々からは「ムーラン・ド・ラ・ギャレット(※丸パンの風車)」の名前で親しまれ、1895年に正式にダンスホールの名前として採用された。
ダンスホールの開業時には2基の風車が並んでいたが、1924年に新たに開業したレストラン「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の目印として移設。ダンスホールは1966年に惜しまれながらも閉業してしまったが、20世紀フランスの国民的歌手ダリダが愛したことでも知られるレストランは現在まで営業を続けている。
ムーラン・ド・ラ・ギャレット②:バル/ダンスホール

風車のあった自身の農場にダンスホールを開いたのは1834年の事で、当初は「バル・ドブレ」の名が付けられていた。
牛乳と共に出されるライ麦のパンが好評で、次第に人々からは「ムーラン・ド・ラ・ギャレット(※丸パンの風車)」の名前で親しまれ、1895年に正式にダンスホールの名前として採用された。
ダンスホールの開業時には2基の風車が並んでいたが、1924年に新たに開業したレストラン「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の目印として移設。
ダンスホールは1966年に惜しまれながらも閉業してしまったが、20世紀フランスの国民的歌手ダリダが愛したことでも知られるレストランは現在まで営業を続けている。
ムーラン・ド・ラ・ギャレット③:絵画
ダンスホールとして特に人気の高かった「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は、多くの芸術家が集う憩いの場として賑わいを見せた。情緒溢れる2基の風車の光景は、ゴッホやユトリロ、カミーユ・コローなど名立たる芸術家の主題として描かれている。
また店内で人々が楽し気にダンスに興じる姿は、ピカソやロートレックなどによって描かれている。とりわけパリのオルセー美術館に所蔵されている1876年のルノワールの絵画『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』は、当時のパリの生活を透明感溢れるタッチで描き出した名作として世界的に有名である。

ムーラン・ド・ラ・ギャレット③:絵画

ダンスホールとして特に人気の高かった「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は、多くの芸術家が集う憩いの場として賑わいを見せた。
情緒溢れる2基の風車の光景は、ゴッホやユトリロ、カミーユ・コローなど名立たる芸術家の主題として描かれている。
また店内で人々が楽し気にダンスに興じる姿は、ピカソやロートレックなどによって描かれている。
とりわけパリのオルセー美術館に所蔵されている1876年のルノワールの絵画『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』は、当時のパリの生活を透明感溢れるタッチで描き出した名作として世界的に有名である。

キャバレー発祥の地:シャ・ノワール、ムーラン・ルージュ
19世紀後半にパリの税制の外にあったモンマルトルは、安い酒を求める客が集まる歓楽街として発展した。キャバレーも元々は単なる酒場を意味していたが、1881年にこの街で開業した「シャ・ノワール」が食事中に歌や劇といった様々なパフォーマンスを提供するようになる。この新しいコンセプトは当時の民衆から絶大な人気を集め、モンマルトルはキャバレー文化の中心地となる。
現在まで世界的に有名なキャバレーとして知られるのが、1889年に開業した「ムーラン・ルージュ」である。真っ赤な風車が目印のキャバレーは、オッフェンバック作曲のオペラ『地獄のオルフェ』を基に考案されたダンス「フレンチ・カンカン」を取り入れたショーで大きな成功を収めた。
キャバレー発祥の地:シャ・ノワール、ムーラン・ルージュ

19世紀後半にパリの税制の外にあったモンマルトルは、安い酒を求める客が集まる歓楽街として発展した。
キャバレーも元々は単なる酒場を意味していたが、1881年にこの街で開業した「シャ・ノワール」が食事中に歌や劇といった様々なパフォーマンスを提供するようになる。
この新しいコンセプトは当時の民衆から絶大な人気を集め、モンマルトルはキャバレー文化の中心地となる。
現在まで世界的に有名なキャバレーとして知られるのが、1889年に開業した「ムーラン・ルージュ」である。
真っ赤な風車が目印のキャバレーは、オッフェンバック作曲のオペラ『地獄のオルフェ』を基に考案されたダンス「フレンチ・カンカン」を取り入れたショーで大きな成功を収めた。
サン・ピエール教会
ノートルダム王立修道院の設立と時を同じくして、1124年にフランス国王ルイ6世によって丘の上に建てられたのがサン・ピエール教会。中世には修道院付属教会と住民のための小教区教会という、2つの役割を同時に担っていた。パリで最も古い教会の一つに数えられ、ロマネスク様式と初期ゴシック様式が見事に調和している。
元々この場所には4世紀メロヴィング朝時代のバジリカ聖堂が建っており、その時代の5つの柱頭と4本の大理石の柱が再利用されている。また教会内は20世紀フランスで最も評価の高いガラス工芸家マックス・アングランが1953年に手掛けた、美しいステンドグラスに彩られている。

サン・ピエール教会

ノートルダム王立修道院の設立と時を同じくして、1124年にフランス国王ルイ6世によって丘の上に建てられたのがサン・ピエール教会。
中世には修道院付属教会と住民のための小教区教会という、2つの役割を同時に担っていた。
パリで最も古い教会の一つに数えられ、ロマネスク様式と初期ゴシック様式が見事に調和している。
元々この場所には4世紀メロヴィング朝時代のバジリカ聖堂が建っており、その時代の5つの柱頭と4本の大理石の柱が再利用されている。
また教会内は20世紀フランスで最も評価の高いガラス工芸家マックス・アングランが1953年に手掛けた、美しいステンドグラスに彩られている。

サクレ・クール寺院
そんな歴史あるサン・ピエール教会の隣に建てられたサクレ・クール寺院は、今日のモンマルトルの丘を象徴するランドマーク。19世紀後半から建設が始まり、1923年に完成したバジリカ聖堂である。トルコのイスタンブールを中心に大勢力を築いた東ローマ帝国で発展した、ビザンティン建築が採用されており、白く輝くオリエンタルな雰囲気が圧倒的な存在感を放っている。
教会内の天井を彩るモザイク画はフランスで最も規模の大きなものであり、その総面積は480平方メートルにも及ぶ。また標高130mの丘の上に建つ高さ83mの丸い屋根のドームへと登ることができ、聖堂内を上から眺めた後に辿り着く屋上からは、パリの街を360度眺めることが出来る絶景が広がっている。
サクレ・クール寺院

そんな歴史あるサン・ピエール教会の隣に建てられたサクレ・クール寺院は、今日のモンマルトルの丘を象徴するランドマーク。
19世紀後半から建設が始まり、1923年に完成したバジリカ聖堂である。
トルコのイスタンブールを中心に大勢力を築いた東ローマ帝国で発展した、ビザンティン建築が採用されており、白く輝くオリエンタルな雰囲気が圧倒的な存在感を放っている。
教会内の天井を彩るモザイク画はフランスで最も規模の大きなものであり、その総面積は480平方メートルにも及ぶ。
また標高130mの丘の上に建つ高さ83mの丸い屋根のドームへと登ることができ、聖堂内を上から眺めた後に辿り着く屋上からは、パリの街を360度眺めることが出来る絶景が広がっている。
モンマルトル美術館
1960年に開業したモンマルトル美術館は、大きく分けて3つの建物によって構成されている。1660年に建てられたベレール邸は丘の上で最も古い建物として知られ、街と芸術家との深い関わりを紹介する常設展が開催されている。また企画展が開催されるドマルヌ邸は1680年に建てられ、ゴッホの絵画でも有名な画商「タンギー爺さん」が住んでいたこともあった。
絵画のモデルとしても有名な女性画家シュザンヌ・ヴァラドンと、息子でエコール・ド・パリを代表する画家モーリス・ユトリロの生活したアパートも公開されている。メインとなる2つの建物の間に位置し、2人が創作活動に励んだ当時のアトリエが再現されている。またこのアパートはルノワールがアトリエとして借りていた時期もあり、中庭は彼が描いたモンマルトルの世界が表現されている。

モンマルトル美術館

1960年に開業したモンマルトル美術館は、大きく分けて3つの建物によって構成されている。
1660年に建てられたベレール邸は丘の上で最も古い建物として知られ、街と芸術家との深い関わりを紹介する常設展が開催されている。
また企画展が開催されるドマルヌ邸は1680年に建てられ、ゴッホの絵画でも有名な画商「タンギー爺さん」が住んでいたこともあった。
絵画のモデルとしても有名な女性画家シュザンヌ・ヴァラドンと、息子でエコール・ド・パリを代表する画家モーリス・ユトリロの生活したアパートも公開されている。
メインとなる2つの建物の間に位置し、2人が創作活動に励んだ当時のアトリエが再現されている。
またこのアパートはルノワールがアトリエとして借りていた時期もあり、中庭は彼が描いたモンマルトルの世界が表現されている。

ダリ美術館とフォークアート美術館
1991年にオープンした「ダリ・パリ」は、シュルレアリスムを代表するスペイン人芸術家サルバドール・ダリの作品を展示する美術館。ダリの蒐集家として有名なベニアミーノ・レヴィが集めた300点以上の作品が展示され、個人コレクションの展示としてはフランス最大規模を誇る。
また1995年に開業した「アール・サン・ピエール」は、フォークアートに焦点を当てて展示を行う美術館。1868年に建てられた屋内市場の中で、美術教育を受けなかった一般市民によって描かれた素朴派(ナイーヴ・アート)や精神障害を抱えた人が魂の赴くままに描くアール・ブリュットの作品などが展示されている。
ダリ美術館とフォークアート美術館

1991年にオープンした「ダリ・パリ」は、シュルレアリスムを代表するスペイン人芸術家サルバドール・ダリの作品を展示する美術館。
ダリの蒐集家として有名なベニアミーノ・レヴィが集めた300点以上の作品が展示され、個人コレクションの展示としてはフランス最大規模を誇る。
また1995年に開業した「アール・サン・ピエール」は、フォークアートに焦点を当てて展示を行う美術館。
1868年に建てられた屋内市場の中で、美術教育を受けなかった一般市民によって描かれた素朴派(ナイーヴ・アート)や精神障害を抱えた人が魂の赴くままに描くアール・ブリュットの作品などが展示されている。
壁抜け男とジュテームの壁
モンマルトルの街中は、今日も様々な芸術で彩られ続けている。マルセル・エメ広場に面する壁と一体化した銅像は、俳優としても活躍したジャン・マレーが1989年に手掛けたもの。フランス人小説家マルセル・エメの代表作『壁抜け男』の世界を表現したもので、すぐ目の前の家には彼の住居があった。
モンマルトルの新たな名所として親しまれているのは、2000年にフレデリック・バロンらによって制作されたジュテームの壁。世界中で話されている311の言語で書かれた、「愛しています」を意味する言葉によって壁一面が埋め尽くされている。分離や分断のシンボルでもある「壁」が、人間の最も美しい感情を支える「壁」であって欲しいという願いが込められている。

壁抜け男とジュテームの壁

モンマルトルの街中は、今日も様々な芸術で彩られ続けている。
マルセル・エメ広場に面する壁と一体化した銅像は、俳優としても活躍したジャン・マレーが1989年に手掛けたもの。
フランス人小説家マルセル・エメの代表作『壁抜け男』の世界を表現したもので、すぐ目の前の家には彼の住居があった。
モンマルトルの新たな名所として親しまれているのは、2000年にフレデリック・バロンらによって制作されたジュテームの壁。
世界中で話されている311の言語で書かれた、「愛しています」を意味する言葉によって壁一面が埋め尽くされている。
分離や分断のシンボルでもある「壁」が、人間の最も美しい感情を支える「壁」であって欲しいという願いが込められている。

映画『アメリ』の舞台
2001年に公開され世界的なヒットを記録したジャン・ピエール・ジュネの名作『アメリ』は、この街を舞台としている。サクレ・クール寺院前の広場にはレトロで可愛らしい雰囲気漂うメリーゴーランドが今なお営業を続けていて、スクリーンを通じて見た映画の世界がそのまま広がっている。
また主演のオドレイ・トトゥが演じるアメリが働いていたカフェも、20世紀初頭から営業を開始した実在のカフェ。1950年代に映画と同じ「カフェ・デ・ドゥー・ムーラン」の名に変わり、地元住民に愛され続けた。またアメリが住むアパートに1階で営業していた「マルシェ・ド・ラ・ビュット(コリニョンの店)」も、実際に存在する食料品店として有名である。
映画『アメリ』の舞台

2001年に公開され世界的なヒットを記録したジャン・ピエール・ジュネの名作『アメリ』は、この街を舞台としている。
サクレ・クール寺院前の広場にはレトロで可愛らしい雰囲気漂うメリーゴーランドが今なお営業を続けていて、スクリーンを通じて見た映画の世界がそのまま広がっている。
また主演のオドレイ・トトゥが演じるアメリが働いていたカフェも、20世紀初頭から営業を開始した実在のカフェ。
1950年代に映画と同じ「カフェ・デ・ドゥー・ムーラン」の名に変わり、地元住民に愛され続けた。
またアメリが住むアパートに1階で営業していた「マルシェ・ド・ラ・ビュット(コリニョンの店)」も、実際に存在する食料品店として有名である。
モンマルトル(パリ18区)について詳しく知りたい!
基本情報

パリ市モンマルトル(18区)/Montmartre (PARIS)
面積:6,01 km2
人口:19万人(2022年現在)
写真1枚目:Photoed by dtrevi0 – pixabay.com
写真2枚目:Photoed by pierre9x6 – pixabay.com
写真3, 11枚目:pixabay.com
写真4枚目:Photoed by Son of Groucho – Flickr
写真5, 17枚目:Photoed by edmondlafoto – pixabay.com
写真6枚目:Photoed by ktgyun – pixabay.com
写真7枚目:Photoed by Son of Groucho – Flickr
写真8枚目:Photoed by DavidPogue – pixabay.com
写真9枚目:Photoed by baldeaglebluff – Flickr
写真10枚目:Photoed by waldomiguez – pixabay.com
写真12枚目:Photoed by Leonhard_Niederwimmer – pixabay.com
写真13枚目:Photoed by Carl Campbell – Flickr
写真14枚目:Photoed by Beatriz Mendes – Flickr
写真15枚目:Photoed by axintecprn – pixabay.com
写真16枚目:Photoed by Yun Huang Yong – Flickr
写真18枚目:Photoed by mehranhaddadi – pixabay.com
2025年2月24日:ページ更新
行き方

丘の上へ地下鉄(メトロ)を使って直接行くことは出来ませんが、ケーブルカーがあるので、体力に自信の無い方でも簡単に丘の上へあがることが出来ます
もちろんパリ中心部から、タクシーを使って訪れるのもお勧めになります。
目的に応じて、以下の3つの駅を使い分けるのがお勧めです。
①アベス駅(Abbesses):丘の上を目指すのであれば、一番お勧めの駅になります。5分程歩いた先にフニクレール(ケーブルカー)の駅がありますよ。また映画『アメリ』のロケ地にも使われました。
②アンヴェール駅(Anvers):丘の麓にある駅で、石畳の坂道を登りながらサクレ・クール寺院を目指すルートになります。
③ラマルク・コーランクール駅(Lamarck-Caulaincourt):丘の裏側に位置する駅で、モンパルナス美術館やブドウ畑を見たいという方にお勧めです。
パリ中心部(オペラ座)から、モンパルナス中心市街地(テルトル広場)まで5km(約20分)
パリ・シャルル・ド・ゴール国際空港から30km(約40分)
モンマルトル(パリ18区)のお勧めホテル

フランスにある美しい村々を訪れるなら、パリ・モンマルトルにも訪れて見てはいかがでしょうか?大都市パリの中でも、どこか村らしい素朴な雰囲気が漂うエリアですよ。
ホテルの予約はbooking.comが便利で、毎回お世話になっています。この街にあるお勧めの宿を紹介いたしますので参考にして頂ければ幸いです。
Booking.comの総合スコア9.6と高評価なこの宿泊施設は、サクレ・クール寺院まで徒歩10分という立地なので街の散策に便利。創業はキャバレーなどが建ち並ぶ歓楽街として賑わいを見せた1901年で、ベル・エポックの古き良き雰囲気を感じることが出来ます。アーティスティックな内装の客室は、モンマルトルの丘の雰囲気を満喫するのにピッタリ!料金は2名1泊で500€からです。
Booking.comの総合スコア9.2と高評価なこの宿泊施設は、丘の麓の高級住宅エリアに佇む五つ星ホテルです。モンマルトルを代表するキャバレー「ムーラン・ルージュ」のすぐ脇に佇んでいるため、世界最高峰のショーと共に優雅なパリ滞在をしたいという方にお勧めです。客室は、シックで高級感溢れる内装が魅力。宿泊者のニーズに応じて値段が異なり、料金は2名1泊で800€~1000€(朝食別)です。
モンマルトル(パリ18区)近郊の美しい村
パリ&ロレーヌ
ラ・ロシュ・ギュイヨンは、パリ市を含むイル・ド・フランス地域圏にある唯一の美しい村です。印象派の巨匠モネによって描かれたこともあり、芸術が好きな方にお勧めです。
ノルマンディー
パリの北西部にある地域で、木組みの民家が可愛らしいです。リヨンス・ラ・フォレやル・ベック・エルアンなど、車があれば日帰りで訪れる事の出来る美しい村もありますよ。
ロワール
パリの南西部に広がるロワール地方は、「フランスの庭園」と呼ばれるなどパリに住む王侯貴族にも愛されました。村全体に花が咲き誇るイェーヴル・ル・シャテルは、パリからも近く特にお勧めです。



