ル・モン・サン・ミシェル/Le Mont Saint-Michel

 

【「西洋の驚異」と称される巡礼の島】

 

大天使ミカエルを祀る小さな村は、

キリスト教の聖地として千年以上の歴史を刻んできた。

干潮時に陸続きとなり巡礼者の絶えない岩山は、

潮が満ちると四方が海に囲まれる孤島へと姿を変える。

ゴシック様式の最高傑作と謳われる修道院が、

自然の神秘によってより一層輝きを増し、

類を見ない人類の宝として世界中の人々に愛されている。

ル・モン・サン・ミシェル

 

【「西洋の驚異」と称される巡礼の島】

 

大天使ミカエルを祀る小さな村は、キリスト教の聖地として千年以上の歴史を刻んできた。

 

干潮時に陸続きとなり巡礼者の絶えない岩山は、潮が満ちると四方が海に囲まれる孤島へと姿を変える。

 

ゴシック様式の最高傑作と謳われる修道院が、自然の神秘によってより一層輝きを増し、類を見ない人類の宝として世界中の人々に愛されている。




世界遺産:モン・サン・ミシェルとその湾

 

この村が位置するモン・サン・ミシェル湾は、潮の干満差が最大15mと非常に激しいことで知られている。満潮時には海に浮かぶ孤島となり、神秘的な姿を水面に映し出す。干潮時には15kmにも及ぶ干潟が姿を現し、陸続きに歩いて島へと渡ることが可能となる。

 

島の頂上に大聖堂が築かれると、周囲を高い壁に囲まれた門前町が形成された。そんな厳しい自然条件に適応した高い建築技術と、自然と一体となった息をのむほど美しい芸術的な景観が評価され、1979年より「モン・サン・ミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産に登録されている。

世界遺産:モン・サン・ミシェルとその湾

この村が位置するモン・サン・ミシェル湾は、潮の干満差が最大15mと非常に激しいことで知られている。

 

満潮時には海に浮かぶ孤島となり、神秘的な姿を水面に映し出す。

 

干潮時には15kmにも及ぶ干潟が姿を現し、陸続きに歩いて島へと渡ることが可能となる。

 

島の頂上に大聖堂が築かれると、周囲を高い壁に囲まれた門前町が形成された。

 

そんな厳しい自然条件に適応した高い建築技術と、自然と一体となった息をのむほど美しい芸術的な景観が評価され、1979年より「モン・サン・ミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産に登録されている。

世界遺産:フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

 

大天使ミカエルに捧げられた聖なる島は、千年以上に渡り多くの敬虔なキリスト教徒が訪れた。イエス・キリストの使徒だった聖ヤコブの聖遺物が祀られているスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラと並ぶほど、宗教的に重要な目的地として栄えた。歩いてこの地を目指す巡礼者にとって、モン・サン・ミシェルへ至る道は「天国の道」と称されることもある。

 

またブルターニュやイギリス等の人々はモン・サン・ミシェルを起点として、トゥールの道(もしくはパリの道)へと合流しながらスペインへの聖地巡礼を行った。こうした宗教的な重要性が認められ、1998年からは「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部としても世界遺産に登録されている。

世界遺産:フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

大天使ミカエルに捧げられた聖なる島は、千年以上に渡り多くの敬虔なキリスト教徒が訪れた。

 

イエス・キリストの使徒だった聖ヤコブの聖遺物が祀られているスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラと並ぶほど、宗教的に重要な目的地として栄えた。

 

歩いてこの地を目指す巡礼者にとって、モン・サン・ミシェルへ至る道は「天国の道」と称されることもある。

 

またブルターニュやイギリス等の人々はモン・サン・ミシェルを起点として、トゥールの道(もしくはパリの道)へと合流しながらスペインへの聖地巡礼を行った。

 

こうした宗教的な重要性が認められ、1998年からは「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部としても世界遺産に登録されている。

村の歴史①:起源

 

元々この場所はモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ、6世紀と7世紀に小礼拝堂が建てられていた。転機となったのは708年のことで、近郊の街アヴランシュの司教を務めていた聖オベールが3度にも渡る夢の中で、「この島に聖堂を建てよ」という大天使ミカエルのお告げを聞いたことに遡る。

 

当時は大天使ミカエルに捧げられた小さな礼拝堂に過ぎなかったが、966年にノルマンディー公リシャール1世の命により、ベネディクト会修道士達がこの島に集められ大修道院の建設が始まった。すると聖ミカエルの加護を求め、瞬く間にヨーロッパ中のキリスト教徒達が訪れる巡礼の聖地となった。

村の歴史①:起源

元々この場所はモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ、6世紀と7世紀に小礼拝堂が建てられていた。

 

転機となったのは708年のことで、近郊の街アヴランシュの司教を務めていた聖オベールが3度にも渡る夢の中で、「この島に聖堂を建てよ」という大天使ミカエルのお告げを聞いたことに遡る。

 

当時は大天使ミカエルに捧げられた小さな礼拝堂に過ぎなかったが、966年にノルマンディー公リシャール1世の命により、ベネディクト会修道士達がこの島に集められ大修道院の建設が始まった。

 

すると聖ミカエルの加護を求め、瞬く間にヨーロッパ中のキリスト教徒達が訪れる巡礼の聖地となった。

大修道院①:付属教会

 

高さ80mの山の頂に位置するモン・サン・ミシェル大修道院は10~13世紀にかけて建てられ、ロマネスク様式の重厚な造りをしていた。現在の大修道院付属教会の中央ホール(身廊および交差廊)や地下礼拝堂は、その当時の建築的特徴を強く留めている。

 

戦争によってその一部は破壊されたが、15世紀に再建された際にフランボワイヤン・ゴシック様式の煌びやかな教会として生まれ変わった。ロマネスク様式の薄暗い神聖な雰囲気と、ステンドグラスから溢れるように光が降り注ぐゴシック様式の神々しい空間が美しいコントラストとなり、訪れる人々を感動させる。

大修道院①:付属教会

高さ80mの山の頂に位置するモン・サン・ミシェル大修道院は10~13世紀にかけて建てられ、ロマネスク様式の重厚な造りをしていた。

 

現在の大修道院付属教会の中央ホール(身廊および交差廊)や地下礼拝堂は、その当時の建築的特徴を強く留めている。

 

戦争によってその一部は破壊されたが、15世紀に再建された際にフランボワイヤン・ゴシック様式の煌びやかな教会として生まれ変わった。

 

ロマネスク様式の薄暗い神聖な雰囲気と、ステンドグラスから溢れるように光が降り注ぐゴシック様式の神々しい空間が美しいコントラストとなり、訪れる人々を感動させる。

大修道院②:ラ・メルヴェイユと回廊

 

大修道院付属教会と隣接する北側の岩の斜面には、13世紀前半に建てられた「ラ・メルヴェイユ」がある。フランス語で驚異や驚嘆などの意味を持つこの建物は、ゴシック芸術の最高傑作と名高い。3層構造の2つの建物から構成されており、東側1階は司祭館、2階は迎賓の間、3階は修道士の食堂として用いられていた。

 

西側の建物の1階は貯蔵庫、2階には騎士の間がある。最上階部分は中庭を囲む回廊となっており、等間隔でずれるように配置された2列の柱や植物をモチーフとした上品な彫刻が魅力を惹きたてている。西側の壁からは外が見えるようになっており、海と空の間に漂う唯一無二の空間が広がっている。

大修道院②:ラ・メルヴェイユと回廊

大修道院付属教会と隣接する北側の岩の斜面には、13世紀前半に建てられた「ラ・メルヴェイユ」がある。

 

フランス語で驚異や驚嘆などの意味を持つこの建物は、ゴシック芸術の最高傑作と名高い。

 

3層構造の2つの建物から構成されており、東側1階は司祭館、2階は迎賓の間、3階は修道士の食堂として用いられていた。

 

西側の建物の1階は貯蔵庫、2階には騎士の間がある。

 

最上階部分は中庭を囲む回廊となっており、等間隔でずれるように配置された2列の柱や植物をモチーフとした上品な彫刻が魅力を惹きたてている。

 

西側の壁からは外が見えるようになっており、海と空の間に漂う唯一無二の空間が広がっている。

大修道院③:西のテラスと「レース飾りの階段」

 

大修道院の西側に設けられたテラスは、付属教会の正面に広がる特別な場所。潮の満ち引きに応じて刻一刻と移り変わる、モン・サン・ミシェル湾を望むパノラマスポットとなっている。教会の尖塔の頂上から見護る大天使ミカエルの彫像は、19世紀ロマン主義を代表するフランスの彫刻家エマニュエル・フレミエが1895年に手掛けたものである。

 

付属教会から通じている隠し螺旋階段を上ると、教会の屋根の高さに設けられたテラスへと至る細い階段がある。繊細で芸術的な彫刻が施されていることから「レース飾りの階段」と呼ばれ、後期ゴシック様式の建築技術の粋を伝える。大修道院が提供するガイドツアーのみでアクセスすることが可能で、大天使ミカエルの彫像を最も近くから見ることが出来る。

大修道院③:西のテラスと「レース飾りの階段」

大修道院の西側に設けられたテラスは、付属教会の正面に広がる特別な場所。

 

潮の満ち引きに応じて刻一刻と移り変わる、モン・サン・ミシェル湾を望むパノラマスポットとなっている。

 

教会の尖塔の頂上から見護る大天使ミカエルの彫像は、19世紀ロマン主義を代表するフランスの彫刻家エマニュエル・フレミエが1895年に手掛けたものである。

 

付属教会から通じている隠し螺旋階段を上ると、教会の屋根の高さに設けられたテラスへと至る細い階段がある。

 

繊細で芸術的な彫刻が施されていることから「レース飾りの階段」と呼ばれ、後期ゴシック様式の建築技術の粋を伝える。

 

大修道院が提供するガイドツアーのみでアクセスすることが可能で、大天使ミカエルの彫像を最も近くから見ることが出来る。

村の歴史②:軍事要塞

 

栄華に彩られた修道院ではあるが、13世紀から14世紀にかけて争った英仏百年戦争の影響により軍事的要衝となり要塞化がなされた。よじ登って侵入を試みる敵を撃退するためのマシクーリなどを備えた堅牢な壁に囲まれ、城壁の上は監視をするために歩ける巡回路となっている。

 

百年戦争の終結間際だった1423~1434年には激しい包囲戦が繰り広げられたが、最期までこの地を守り抜くことに成功する。フランスが勝利すると国王ルイ11世は聖ミカエルを讃えた騎士団を結成すると共に、大天使の加護を求めて更に多くの巡礼者がヨーロッパ中から訪れるようになった。

村の歴史②:軍事要塞

栄華に彩られた修道院ではあるが、13世紀から14世紀にかけて争った英仏百年戦争の影響により軍事的要衝となり要塞化がなされた。

 

よじ登って侵入を試みる敵を撃退するためのマシクーリなどを備えた堅牢な壁に囲まれ、城壁の上は監視をするために歩ける巡回路となっている。

 

百年戦争の終結間際だった1423~1434年には激しい包囲戦が繰り広げられたが、最期までこの地を守り抜くことに成功する。

 

フランスが勝利すると国王ルイ11世は聖ミカエルを讃えた騎士団を結成すると共に、大天使の加護を求めて更に多くの巡礼者がヨーロッパ中から訪れるようになった。

王の門とガブリエルの塔

 

村内に入るには、3つの門を通り抜ける必要がある。1つ目の前哨門と2つ目の大通り門の間には観光案内所があるほか、百年戦争でイギリス軍が攻撃を試みた際の大砲が展示されている。また最後の王の門は要塞化された時代の雰囲気を色濃く残す場所で、敵の進入を防ぐための跳ね橋や落とし格子が復元されている。

 

16世紀に入って作られたのが、西側に新たに設けられた入口であるレ・ファニル。建設当時の軍事責任者だった国王代理官の名を冠したガブリエルの塔は、島の西部防衛の要となった。17世紀には風車が設置されたり、19世紀には灯台として利用されたこともあった。

王の門とガブリエルの塔

村内に入るには、3つの門を通り抜ける必要がある。

 

1つ目の前哨門と2つ目の大通り門の間には観光案内所があるほか、百年戦争でイギリス軍が攻撃を試みた際の大砲が展示されている。

 

また最後の王の門は要塞化された時代の雰囲気を色濃く残す場所で、敵の進入を防ぐための跳ね橋や落とし格子が復元されている。

 

16世紀に入って作られたのが、西側に新たに設けられた入口であるレ・ファニル。

 

建設当時の軍事責任者だった国王代理官の名を冠したガブリエルの塔は、島の西部防衛の要となった。

 

17世紀には風車が設置されたり、19世紀には灯台として利用されたこともあった。

村の歴史③:海上監獄

 

ルイ15世の時代だった1731年にこの島が国の管理下に置かれると、大修道院はフランス本土から隔離された脱獄困難な監獄として整備され、「海のバスティード」の名で呼ばれることもあった。18世紀後半のフランス革命後も反体制派の政治犯を収容する刑務所としての利用は継続し、建物の国有化により修道士も追い出されたため宗教活動は衰退してしまった。

 

19世紀に入ると、知識人を中心に文化財を保護する必要性が強く共有された。その先頭に立って批判を繰り広げたのが『レ・ミゼラブル』などの著書で知られるロマン主義文学の巨匠ヴィクトル・ユゴーで、フランス国民の象徴とも呼ぶべき島を保全する必要を強く訴えた。ナポレオン3世が皇帝だった1862年にモン・サン・ミシェルが国の重要文化財に指定され、聖地としての輝きを少しずつ取り戻していった。

村の歴史③:海上監獄

ルイ15世の時代だった1731年にこの島が国の管理下に置かれると、大修道院はフランス本土から隔離された脱獄困難な監獄として整備され、「海のバスティード」の名で呼ばれることもあった。

 

18世紀後半のフランス革命後も反体制派の政治犯を収容する刑務所としての利用は継続し、建物の国有化により修道士も追い出されたため宗教活動は衰退してしまった。

 

19世紀に入ると、知識人を中心に文化財を保護する必要性が強く共有された。

 

その先頭に立って批判を繰り広げたのが『レ・ミゼラブル』などの著書で知られるロマン主義文学の巨匠ヴィクトル・ユゴーで、フランス国民の象徴とも呼ぶべき島を保全する必要を強く訴えた。

 

ナポレオン3世が皇帝だった1862年にモン・サン・ミシェルが国の重要文化財に指定され、聖地としての輝きを少しずつ取り戻していった。

村の歴史④:再び海に浮かぶ修道院へ

 

修道院へ訪れる人々のアクセスを改善するため、1879年に島と陸地を結ぶ堤防道が建設された。また観光客の急増に伴い線路が敷かれ、1901~1938年には10kmほど離れたポントルソンの町とモン・サン・ミシェルを結ぶ蒸気機関車が運航していた時代もあった。特に堤防道は砂の堆積を促し、少しずつ島としての特徴を奪い去っていった。

 

海洋環境の復元を目指して2014年に大規模工事を実施して新たな橋が架けられ、満潮時には再び海に浮かぶように見える幻想的な景観を取り戻した。「この自然と芸術が織りなす作品を保護し、『島』として残さなければならない」というヴィクトル・ユゴーの願いが、奇しくも1世紀の年月を超えて実現されたのである。

村の歴史④:再び海に浮かぶ修道院へ

修道院へ訪れる人々のアクセスを改善するため、1879年に島と陸地を結ぶ堤防道が建設された。

 

また観光客の急増に伴い線路が敷かれ、1901~1938年には10kmほど離れたポントルソンの町とモン・サン・ミシェルを結ぶ蒸気機関車が運航していた時代もあった。

 

特に堤防道は砂の堆積を促し、少しずつ島としての特徴を奪い去っていった。

 

海洋環境の復元を目指して2014年に大規模工事を実施して新たな橋が架けられ、満潮時には再び海に浮かぶように見える幻想的な景観を取り戻した。

 

「この自然と芸術が織りなす作品を保護し、『島』として残さなければならない」というヴィクトル・ユゴーの願いが、奇しくも1世紀の年月を超えて実現されたのである。

豊かな歴史を感じる中心市街地

 

大修道院へと続く参道はグラン・リュ(大通り)と呼ばれ、道幅の狭い200m程の緩やかな上り坂に沿ってレストランや土産物屋などが建ち並ぶ。観光地化が進んだ19世紀後半から20世紀前半にかけての建物が多いが、重要文化財に指定されるような歴史ある建物も点在している。

 

この村で最も細い通りはコキュの小道(監視の小道)と呼ばれ、大通りから大修道院へと向かうための抜け道となっている。大修道院と参道の間の空間は小さな庭として整備されており、中世には敵に包囲された際に自給するための菜園として活用されていた。

豊かな歴史を感じる中心市街地

大修道院へと続く参道はグラン・リュ(大通り)と呼ばれ、道幅の狭い200m程の緩やかな上り坂に沿ってレストランや土産物屋などが建ち並ぶ。

 

観光地化が進んだ19世紀後半から20世紀前半にかけての建物が多いが、重要文化財に指定されるような歴史ある建物も点在している。

 

この村で最も細い通りはコキュの小道(監視の小道)と呼ばれ、大通りから大修道院へと向かうための抜け道となっている。

 

大修道院と参道の間の空間は小さな庭として整備されており、中世には敵に包囲された際に自給するための菜園として活用されていた。

サン・ピエール教会

 

参道沿いに佇むサン・ピエール教会は、8世紀に大天使ミカエルに捧げた礼拝堂を建てた際に聖オベールが墓地として整備した場所が起源となっている。15~16世紀にかけて改築された際の建物がメインとなっているが、より古いロマネスク様式時代の名残りも残っている。

 

長らくは住民のための教会として用いられていたが、1886年に聖地巡礼の一部としても認めれた以後、大天使ミカエルの像に祈りを捧げる巡礼者も絶えない。教会内では貴重な文化財が数多く保管されており、その中でも13世紀の洗礼盤や14世紀の横臥彫像などが特に見応えがある。また大天使ミカエルの声に導かれフランス軍を勝利に導いた、ジャンヌ・ダルクの像も入口に飾られている。

サン・ピエール教会

参道沿いに佇むサン・ピエール教会は、8世紀に大天使ミカエルに捧げた礼拝堂を建てた際に聖オベールが墓地として整備した場所が起源となっている。

 

15~16世紀にかけて改築された際の建物がメインとなっているが、より古いロマネスク様式時代の名残りも残っている。

 

長らくは住民のための教会として用いられていたが、1886年に聖地巡礼の一部としても認めれた以後、大天使ミカエルの像に祈りを捧げる巡礼者も絶えない。

 

教会内では貴重な文化財が数多く保管されており、その中でも13世紀の洗礼盤や14世紀の横臥彫像などが特に見応えがある。

 

また大天使ミカエルの声に導かれフランス軍を勝利に導いた、ジャンヌ・ダルクの像も入口に飾られている。

博物館

 

中心市街地に佇む4つの博物館も、この村の歴史を深く知る上で興味深い場所である。「ティフェンヌ・ド・ラグネルの家」は百年戦争時代に建てられた14世紀の建物が用いられ、中世の騎士の暮らしを再現した展示を行っている。「歴史博物館」は復元された監獄や、19世紀に作られた世界で最も古い潜望鏡などが見どころとなっている。

 

モン・サン・ミシェル湾の潮の満ち引きに関する展示を行う「海洋博物館」では、250を超える船の模型の展示を行っている。また村の歴史的成り立ちを扱う「アルケオスコープ」では、島の成り立ちから大修道院の建設などの解説を行っている。

博物館

中心市街地に佇む4つの博物館も、この村の歴史を深く知る上で興味深い場所である。「ティフェンヌ・ド・ラグネルの家」は百年戦争時代に建てられた14世紀の建物が用いられ、中世の騎士の暮らしを再現した展示を行っている。

 

「歴史博物館」は復元された監獄や、19世紀に作られた世界で最も古い潜望鏡などが見どころとなっている。

 

モン・サン・ミシェル湾の潮の満ち引きに関する展示を行う「海洋博物館」では、250を超える船の模型の展示を行っている。

 

また村の歴史的成り立ちを扱う「アルケオスコープ」では、島の成り立ちから大修道院の建設などの解説を行っている。

村の名物:オムレツ

 

この村の名物として知られるオムレツは、現在「ラ・メール・プラール」の名前で営業する1888年創業の宿屋の名物。創業者のアネット・プラールは、巡礼者の長旅を癒すためにボリューム満点かつ簡単に提供できる料理としてオムレツをはじめ、様々なレシピを考案しフランス料理界にも名を残している。

 

「ラ・メール・プラール」のオムレツは卵をムース状になるまで泡立ててから火を入れるのがポイントで、スフレのようなふわふわで軽い食感が魅力。100年以上も変わらない秘伝のレシピで調理され、大きなかまどに薪をくべて焼き上げる伝統的な作り方を続けている。

村の名物:オムレツ

この村の名物として知られるオムレツは、現在「ラ・メール・プラール」の名前で営業する1888年創業の宿屋の名物。

 

創業者のアネット・プラールは、巡礼者の長旅を癒すためにボリューム満点かつ簡単に提供できる料理としてオムレツをはじめ、様々なレシピを考案しフランス料理界にも名を残している。

 

「ラ・メール・プラール」のオムレツは卵をムース状になるまで泡立ててから火を入れるのがポイントで、スフレのようなふわふわで軽い食感が魅力。

 

100年以上も変わらない秘伝のレシピで調理され、大きなかまどに薪をくべて焼き上げる伝統的な作り方を続けている。

村の名物:プレ・サレ

 

この村の羊の放牧の歴史は11世紀に遡り、大修道院の修道士たちが近郊の羊の群れから最も優れた雌の羊を選ぶことの出来る権利を有していたことに由来している。島内で供される羊肉の評判は巡礼者たちによって拡散され、その美味しさは世界中に知れ渡ることになった。

 

その旨味の秘密は、モン・サン・ミシェル湾の潮の満ち引きの恩恵によるもの。塩分の多い土地に生育する植物を食べることで、繊細かつ上品な風味がもたらされるのである。特産品である羊肉は、フランス語で塩分を含んだ牧草地を意味する「プレ・サレ」の名称で親しまれている。

村の名物:プレ・サレ

この村の羊の放牧の歴史は11世紀に遡り、大修道院の修道士たちが近郊の羊の群れから最も優れた雌の羊を選ぶことの出来る権利を有していたことに由来している。

 

島内で供される羊肉の評判は巡礼者たちによって拡散され、その美味しさは世界中に知れ渡ることになった。

 

その旨味の秘密は、モン・サン・ミシェル湾の潮の満ち引きの恩恵によるもの。

 

塩分の多い土地に生育する植物を食べることで、繊細かつ上品な風味がもたらされるのである。

 

特産品である羊肉は、フランス語で塩分を含んだ牧草地を意味する「プレ・サレ」の名称で親しまれている。

モン・サン・ミシェル湾と干潟

 

島を取り囲む海は干潮時に15㎞に渡る広大な干潟が出現し、歩いて大修道院へと渡ることが出来る。しかし干潟には抜け出すことが困難な流砂が存在し、時速約6㎞で押し寄せる潮は多くの巡礼者の命を奪った。「モン・サン・ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えが残るほど危険が伴うため、ガイド同伴で干潟を散策することが推奨されている。

 

またモン・サン・ミシェル湾は、貴重な動植物の生息地としても知られている。干潮時には70種類を超える好塩性の植物や放牧された羊の群れを見ることができ、満潮時にはアザラシやイルカが姿を現すこともある。引き潮の際に陸続きとなるトンブレーヌ島も、野鳥の保護地となっている。

モン・サン・ミシェル湾と干潟

島を取り囲む海は干潮時に15㎞に渡る広大な干潟が出現し、歩いて大修道院へと渡ることが出来る。

 

しかし干潟には抜け出すことが困難な流砂が存在し、時速約6㎞で押し寄せる潮は多くの巡礼者の命を奪った。

 

「モン・サン・ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えが残るほど危険が伴うため、ガイド同伴で干潟を散策することが推奨されている。

 

またモン・サン・ミシェル湾は、貴重な動植物の生息地としても知られている。

 

干潮時には70種類を超える好塩性の植物や放牧された羊の群れを見ることができ、満潮時にはアザラシやイルカが姿を現すこともある。

 

引き潮の際に陸続きとなるトンブレーヌ島も、野鳥の保護地となっている。

ル・モン・サン・ミシェルについて詳しく知りたい!

基本情報

マンシュ県ル・モン・サン・ミシェル(ルモンサンミシェル、ル・モン・サン・ミッシェル、ルモンサンミッシェル)/Le Mont-Saint-Michel (MANCHE)

※コミューン(基礎自治体)を指す場合には「Le Mont-Saint-Michel」が、修道院のある小島のみを指す場合には「Mont Saint-Michel」という表記が用いられます。

面積:4 km2

人口:25人(2021年現在)

写真1枚目:Photoed by ArtTower – pixabay.com

写真2, 17枚目:Photoed by barskefranck – pixabay.com

写真3, 5, 6, 9, 10, 12, 13, 14枚目:Photoed by Jorge Láscar – Flickr

写真4枚目:Photoed by Nicolas Raymond – Flickr

写真7枚目:Photoed by Mike Bonitz – Flickr

写真8枚目:Photoed by ykaiavu – pixabay.com

写真11枚目:Photoed by Gervasio Varela – Flickr

写真15枚目:Photoed by Larry Koester – Flickr

写真16枚目:Photoed by ThierryBEUVE – pixabay.com

写真18枚目:Photoed by komissaralex – pixabay.com

写真19枚目:Photoed by Rog01 – Flickr

写真20枚目:Photoed by Jon Gudorf Photography – Flickr

写真21枚目:Photoed by kroshka-uk – Flickr

2024年7月13日:ページ更新

行き方

観光ツアーを利用して訪れる方も多いですが、ブルターニュ地方の中核都市レンヌから出発しているバスが便利なので個人旅行の際は検討してみると良いです。

 

またレンタカーを利用するのもお勧めで、ノルマンディー地方の緑豊かな牧草地帯を車窓から眺めながらの移動は、とても気持ちが良いですよ。

パリ・モンパルナス駅(Paris Montparnasse 1 et 2)からTGVに乗って、レンヌ駅(Rennes)下車。(約1時間30分)

 

レンヌ駅前停留所(RENNES/Gare Routière)からケリオス社レンヌ=モン・サン・ミシェル線のバスに乗って、モン・サン・ミシェル/ル・ヴェルジェ停留所(MONT SAINT-MICHEL/Le Verger)下車。(約1時間20分)

レンヌから70km(約1時間20分)

パリから380km(約4時間20分)

パリ・シャルル・ド・ゴール国際空港から380km(約4時間10分)

レンヌ・ブルターニュ空港(Aéroport Rennes Bretagne)から80km(約1時間10分)

紹介動画

フランスの人気テレビ番組「フランス人が選ぶお気に入りの村」で、2018年にル・モン・サン・ミシェルがノミネートされた際の動画がYoutubeの「Le Pays préféré des Français」公式チャンネルにて紹介されています。この村の魅力が詰まった動画で、見たら行ってみたくなること間違いなしです。映像だけでも十分に楽しめますが、順次日本語訳を紹介していく予定なので楽しみにお待ちいただければ幸いです。

特産品

参道沿いに多くのお土産屋さんが建ち並んでおり、見てまわるだけでも楽しめます。ただし、中国製のものばかりが店頭に並んでいると揶揄されたり、スーパー等で買った方がお得なお土産等もあるため、良くも悪くも観光地という印象を受けるでしょう。

 

すでに「オムレツ」と「プレ・サレ(羊肉)」を紹介していますが、他にもモン・サン・ミシェルを訪れたらぜひ味わいたい特産品や、ぜひ買いたいお勧めのお土産品があるので紹介させて頂きます。

モン・サン・ミシェル湾で採れるムールは、最高品質として認識されています。潮の満ち引きの差が大きいため、エサとなる豊富なプランクトンがいることが味の秘密。海産物としては唯一原産地保護呼称(AOP)に指定されていることからも、安定して高い品質が採れることがわかります。

 

ミルキーでとろけるような食感と、甘みとコクのある味わいが特徴的。7月~2月頃までが収穫の時期となりますが、特に7~8月の夏季が一番の旬となっています。

この村と隣接するブルターニュ地方は、バターをふんだんに使ったパレと呼ばれるビスケットで有名。また同じく車で2時間強の場所にあるサブレ・シュル・サルトは、ほろほろと砂の様にほどける食感が特徴的なサブレ・クッキー発祥の街としても知られています。

 

オムレツで有名な「ラ・メール・プラール」でも、100年以上に渡り店内で細々とビスケットが作られていました。それでも増え続ける観光客に供給が追い付かず、1993年より村近郊の工場でビスケットが製造されるようになりました。「ラ・メール・プラール」の名を冠したビスケットは、今日ナショナル・ブランドとしてフランス中の人々に愛される味になっています。

レストラン

人口は100人にも満たない小さな村ですが、観光客のためのレストランやカフェが多数営業をしています。観光地という事で少し高めの値段設定のお店も多いので、パン屋さんなどでサンドイッチを買って島を訪れるのもお勧めです。

 

ここでは、せっかくこの村に来たなら一度は訪れたい人気のレストランを紹介させて頂きます。

「ラ・メール・プラール」についての、もう少し詳しい歴史をご紹介します。フランス語でプラールお母さんの愛称で知られる、アネット・プラールは地元のパン職人と結婚し「ラ・テット・ドール」という宿の運営を引き受けることになりました。その際に、メイン料理である羊肉(プレ・サレ)を作っている間に提供していたのが、今日有名なオムレツでした。

 

その後独立するため、1888年に場所を変えて宿を開業。お客を呼び込むキャッチ・コピーが、「プラールお母さんの作る評判のオムレツ」でした。それが今日のレストラン名の元となっています。残念ながら東京にあった姉妹店は2021年に閉店してしまったので、フランスを訪れたらぜひふわふわオムレツを食べてみて下さいね。




ル・モン・サン・ミシェルのお勧めホテル

村内がオレンジに輝く夕暮れ時や、夜のライトアップ、朝霧に包まれた街並みなど、時間によって様々な表情を見せるのが美しい村の魅力。モン・サン・ミシェルでは、観光客に溢れる日中とは異なる静かな夜が訪れる島内で宿泊するか、潮の満ち引きの変化を楽しめる島外に宿泊するかでも大きく印象が異なりますよ。

 

フランスの最も美しい村の予約はbooking.comが便利で、毎回お世話になっています。今回はル・モン・サン・ミシェルにあるお勧めのホテルを紹介いたしますので参考にして頂ければ幸いです。

Booking.comのロケーションスコア9.1と高評価なこの宿泊施設は、モン・サン・ミシェルの島内に宿泊できるホテルです。14世紀の木組みの家を綺麗にリノベーションした建物は、この村の豊かな歴史を感じさせます。内装は落ち着きのある、大人の空間が広がります。レストランも併設されているので、夕食をホテル内でとるのもお勧め。部屋から海が見えるかどうかに応じて料金が変動し、2名1泊で280€~310€(朝食別)です。

Booking.comの総合スコア9.4と高評価なこの宿泊施設は、干潟の散策や海に浮かぶ修道院を眺めるのに最適な立地です。高品質なホテルチェーンとして知られるメルキュールによって運営されているため、設備や清潔感など安心感があります。青を基調とした客室は、モン・サン・ミシェル湾の雰囲気ともぴったり。レストランも営業しているので、夜はホテルでのんびりと食事をとるのがお勧めです。料金は2名1泊で210€(朝食込)です。




ル・モン・サン・ミシェル近郊の美しい村

ブーヴロン・アン・オージュ

パリ方面から車で訪れる人にとっては、その道中にあるブーヴロン・アン・オージュが特に人気の高い村として知られています。木組みの民家が多く、ノルマンディー地方らしい素朴な魅力に溢れていますよ。

サン・シュリアック

モン・サン・ミシェルはノルマンディー地方に位置していますが、地理的にはブルターニュ地方を一緒に巡るのがお勧めです。特にモン・サン・ミシェル湾の潮の満ち引きの影響を大きく受けるランス川沿いには、サン・シュリアックというかつての漁師町が佇んでいますよ。