
嘉右衛門町(栃木市)/Kauemon(Tochigi)
【日光へと続く交通の要衝】
情緒溢れる伝統的な蔵の街並みが楽しめる、
栃木宿と日光を結ぶ日光例幣使道沿いに佇むこの町。
巴波川を利用した江戸を結ぶ舟運が原動力となり、
多くの商人が軒を連ねる在郷町として栄えた。
村の開拓の立役者となった岡田嘉右衛門の屋敷を中心に、
防火性に優れた蔵造りの店舗である見世蔵が点在し、
黒漆喰の上品な外観が魅力の唯一無二の街並みが楽しめる。

嘉右衛門町(栃木市)/Kauemon(Tochigi)
【日光へと続く交通の要衝】
情緒溢れる伝統的な蔵の街並みが楽しめる、栃木宿と日光を結ぶ日光例幣使道沿いに佇むこの町。
巴波川を利用した江戸を結ぶ舟運が原動力となり、多くの商人が軒を連ねる在郷町として栄えた。
村の開拓の立役者となった岡田嘉右衛門の屋敷を中心に、防火性に優れた蔵造りの店舗である見世蔵が点在し、黒漆喰の上品な外観が魅力の唯一無二の街並みが楽しめる。

街の歴史
織田信長や豊臣秀吉らが活躍した16世紀後半に、足利から移り住んだ岡田嘉右衛門によって集落が築かれた。当時は嘉右衛門新田村の名で呼ばれ、名門武家である畠山氏から分封された知行地となった。岡田嘉右衛門は代官に任命され、屋敷内には統治するための拠点施設である陣屋が1689年に設置された。
村が大きく発展したのは、江戸時代に遡る。集落の脇を流れる巴波川は、江戸を結ぶ水上輸送の利便性向上のため河岸整備が行われた。また天皇から神への捧げ物を納めるため京都から中山道を通って日光へと向かう日光例幣使道沿いあり、栃木宿のすぐ北側という立地も相まって多くの商家が軒を連ねることになった。
街の歴史

織田信長や豊臣秀吉らが活躍した16世紀後半に、足利から移り住んだ岡田嘉右衛門によって集落が築かれた。
当時は嘉右衛門新田村の名で呼ばれ、名門武家である畠山氏から分封された知行地となった。
岡田嘉右衛門は代官に任命され、屋敷内には統治するための拠点施設である陣屋が1689年に設置された。
村が大きく発展したのは、江戸時代に遡る。
集落の脇を流れる巴波川は、江戸を結ぶ水上輸送の利便性向上のため河岸整備が行われた。
また天皇から神への捧げ物を納めるため京都から中山道を通って日光へと向かう日光例幣使道沿いあり、栃木宿のすぐ北側という立地も相まって多くの商家が軒を連ねることになった。
岡田記念館①:陣屋、蔵
この街の礎を築いた岡田嘉右衛門の屋敷は、1978年より岡田記念館として一般公開されている。その敷地は1万㎡にも及び、江戸時代から大正時代までの建物が立ち並んでいる。岡田家が収集した鎧や刀などを展示する蔵や、畠山氏の代官屋敷として用いられた陣屋などは威厳溢れる佇まいが魅力となっている。
代官屋敷内の壁は、日本独自の水墨画を確立した雪舟の直系の弟子である磯辺法眼等随が1832年に描いた『龍図』が彩っている。その他にも芸術への造詣が深かった岡田家には、明治初期に活躍した清水登之の『薪を背負う女』や、「最後の文人画家」と謳われる富岡鉄斎が1889年に描いた『韓信堪忍図』など貴重な作品が残る。

岡田記念館①:陣屋、蔵

この街の礎を築いた岡田嘉右衛門の屋敷は、1978年より岡田記念館として一般公開されている。
その敷地は1万㎡にも及び、江戸時代から大正時代までの建物が立ち並んでいる。
岡田家が収集した鎧や刀などを展示する蔵や、畠山氏の代官屋敷として用いられた陣屋などは威厳溢れる佇まいが魅力となっている。
代官屋敷内の壁は、日本独自の水墨画を確立した雪舟の直系の弟子である磯辺法眼等随が1832年に描いた『龍図』が彩っている。
その他にも芸術への造詣が深かった岡田家には、明治初期に活躍した清水登之の『薪を背負う女』や、「最後の文人画家」と謳われる富岡鉄斎が1889年に描いた『韓信堪忍図』など貴重な作品が残る。

岡田記念館②:市村理髪店と翁島別邸
ちょんまげ以外の髪型の自由と旧武士階級の帯刀を義務としない事を定めた散髪脱刀令が1871年に公布されたことに伴い、岡田家の敷地の一部を借りる形で市村理髪館が明治初期に開業した。栃木県最古の理容所として知られ、平成元年まで営業を続けた。木造平屋の建物の他、椅子や鏡、はさみなど創業当初から使われていた貴重な道具も展示されている。
岡田記念館から100m程離れた場所に佇む翁島別邸は、岡田家の第22代当主によって1924年に建てられた。大正建築の粋を凝らした風格ある外観が印象的で、隠居所として用いられた。約9mに及ぶ欅の一枚板で作られた廊下や、通常よりも小さなサイズの瓦で葺かれた屋根など細部へのこだわりを感じることができる。
岡田記念館②:市村理髪店と翁島別邸

ちょんまげ以外の髪型の自由と旧武士階級の帯刀を義務としない事を定めた散髪脱刀令が1871年に公布されたことに伴い、岡田家の敷地の一部を借りる形で市村理髪館が明治初期に開業した。
栃木県最古の理容所として知られ、平成元年まで営業を続けた。
木造平屋の建物の他、椅子や鏡、はさみなど創業当初から使われていた貴重な道具も展示されている。
岡田記念館から100m程離れた場所に佇む翁島別邸は、岡田家の第22代当主によって1924年に建てられた。
大正建築の粋を凝らした風格ある外観が印象的で、隠居所として用いられた。
約9mに及ぶ欅の一枚板で作られた廊下や、通常よりも小さなサイズの瓦で葺かれた屋根など細部へのこだわりを感じることができる。
神明神社と庚申塔
岡田嘉右衛門によって集落の開拓が進められた、1600年前後に起源を持つ神明神社。現在の建物は1931年に建てられたもので、直線的な切妻屋根と高床式の社殿を組み合わせた典型的な神明造りをしている。敷地内に置かれた1891年製の狛犬や1863年の石灯篭など、貴重な石造物も見どころとなっている。
健康や長寿を願うため街道筋に設置された庚申塔も、1800年に制作された貴重な石造物である。中国道教に日本の民間信仰が融合する形で、特に江戸時代の日本の農村に広まった俗習の名残りとして知られており、往時の村の暮らしを今に伝えている。

神明神社と庚申塔

岡田嘉右衛門によって集落の開拓が進められた、1600年前後に起源を持つ神明神社。
現在の建物は1931年に建てられたもので、直線的な切妻屋根と高床式の社殿を組み合わせた典型的な神明造りをしている。
敷地内に置かれた1891年製の狛犬や1863年の石灯篭など、貴重な石造物も見どころとなっている。
健康や長寿を願うため街道筋に設置された庚申塔も、1800年に制作された貴重な石造物である。
中国道教に日本の民間信仰が融合する形で、特に江戸時代の日本の農村に広まった俗習の名残りとして知られており、往時の村の暮らしを今に伝えている。

大貫定衛商店
歴史地区の入り口に佇む大貫定衛商店は、1835年に建てられた日本国内で3番目に古い見世蔵として知られる。元々は江戸への商品の輸送を担う廻船問屋を営んでいた山崎家の屋敷地で、現存する建物の大部分は江戸時代後期に遡ることができる。1926年に大貫家が土地建物を購入し麻芋問屋を開業し、1997年まで営業を続けていた。
黒漆喰に覆われた土蔵造りの見世蔵と背面に建てられた木造住居、更に奥の敷地に並ぶように建つ白漆喰の蔵。そして最も奥に設置された稲荷社および祠と、巴波川へと通ずる裏口が設けられた塀。この町の典型的な居住空間の構成を留めており、江戸時代の商人の暮らしの面影が色濃く残る。
大貫定衛商店

歴史地区の入り口に佇む大貫定衛商店は、1835年に建てられた日本国内で3番目に古い見世蔵として知られる。
元々は江戸への商品の輸送を担う廻船問屋を営んでいた山崎家の屋敷地で、現存する建物の大部分は江戸時代後期に遡ることができる。
1926年に大貫家が土地建物を購入し麻芋問屋を開業し、1997年まで営業を続けていた。
黒漆喰に覆われた土蔵造りの見世蔵と背面に建てられた木造住居、更に奥の敷地に並ぶように建つ白漆喰の蔵。
そして最も奥に設置された稲荷社および祠と、巴波川へと通ずる裏口が設けられた塀。
この町の典型的な居住空間の構成を留めており、江戸時代の商人の暮らしの面影が色濃く残る。
旧益子味噌工場と油伝味噌
1781年に商人の益子佐平が創業した場所は、明治中頃より味噌醸造業が営まれるようになる。その後はヤマサ味噌の名で日本各地に出荷され、栃木を代表する味噌として親しまれていたが2011年に閉業。その跡地は2016年に栃木市の所有となり観光案内所や地域の集会所として整備され、江戸時代に建てられた見世蔵などが大切に保全されている。
同じく1781年に油屋として創業した油伝味噌では幕末から味噌の生産を続けており、今日は茶店としても営業をしている。板塀に囲われた敷地内は、木造の店舗や土蔵などが残り風情溢れる空間が広がる。特に3階建てという珍しい構造が印象的な土蔵の文庫蔵は、名工と謳われる三富清兵衛によって1885年に建てられたものである。

旧益子味噌工場と油伝味噌

1781年に商人の益子佐平が創業した場所は、明治中頃より味噌醸造業が営まれるようになる。
その後はヤマサ味噌の名で日本各地に出荷され、栃木を代表する味噌として親しまれていたが2011年に閉業。
その跡地は2016年に栃木市の所有となり観光案内所や地域の集会所として整備され、江戸時代に建てられた見世蔵などが大切に保全されている。
同じく1781年に油屋として創業した油伝味噌では幕末から味噌の生産を続けており、今日は茶店としても営業をしている。
板塀に囲われた敷地内は、木造の店舗や土蔵などが残り風情溢れる空間が広がる。
特に3階建てという珍しい構造が印象的な土蔵の文庫蔵は、名工と謳われる三富清兵衛によって1885年に建てられたものである。
嘉右衛門町(栃木市)について詳しく知りたい!
日本の美しい街

栃木県栃木市嘉右衛門町
面積:0.096 km2
人口:635人(2017年現在)
重要伝統的建造物群保存地区:文化庁
名称:栃木市嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区
所在地:栃木県栃木市
面積:約9.6ヘクタール
種類:在郷町
物件数:伝統的建造物 (建築物)102、伝統的建造物 (工作物)36、環境物件5(計143件)
2026年4月25日:ページ更新
行き方

東京駅から新幹線で1時間ほど、また新宿駅からJR・東部日光線 特急や浅草駅から東武スカイツリーラインに乗ることで1時間半ほどと気軽に訪れることができます。栃木駅から嘉右衛門町までは徒歩圏内なので、公共交通機関のみで訪れてみても良いでしょう。
大谷石に代表される栃木県に特徴的な石切り場の風景や石造りの建築も楽しみたいという方は、レンタカーなど車での移動もお勧めです。
東京駅から東北新幹線に乗って、小山駅でJR両毛線に乗り換え、栃木駅下車(約1時間10分)
栃木駅から嘉右衛門町中心市街地まで、徒歩で約30分
宇都宮から40km(約40分)
東京から110km(約1時間30分)
嘉右衛門町(栃木市)のお勧めホテル

北関東にある美しい村々を訪れるなら、嘉右衛門町にも泊ってみてはいかがでしょうか?
ホテルの予約はbooking.comが便利で、毎回お世話になっています。この街周辺にあるお勧めの宿を紹介いたしますので参考にして頂ければ幸いです。
Booking.comの総合スコア8.5と高評価なこの宿泊施設は、嘉右衛門町まで徒歩20分という場所に位置しているため街の散策に便利。川沿いに蔵が点在する旧栃木町を代表する場所もすぐ目の前なので、「蔵の街とちぎ」の魅力を存分に味わうことができます。客室は和風な空間が広がっており、日本らしい特別な滞在をしたいという方にお勧め。料金は2名1泊で9000円からです。
嘉右衛門町近郊の美しい村
伊参(中之条町)
日本の農村の典型的な造りをした民家である、江戸時代後期に建てられた冨沢家住宅が残ります。養蚕を行うための「平カブト造」や茅葺屋根など、建築好きには必見の場所ですよ。
